天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

喩に沈む季節(2/8)

2.勅撰和歌集と部立の終焉
 大和時代記紀歌謡、万葉集を経て和歌の形式が整備されたが、奈良末期から平安初期にかけて、遣隋使、遣唐使にみられるような中国文化導入と漢詩文の隆盛に圧されて一旦和歌は衰微した。その後の藤原政権確立、草仮名による女房文学の流行、遣唐使廃止などにより、和歌が勃興する。朝廷や貴族の家では、歌人が集まり、左右二組に分かれて和歌の優劣を競う歌合が盛んに催され、そうした中から秀歌を集めた勅撰集が出現する。『古今和歌集』(905年)である。歌はテーマ・部立により分類された。春歌、夏歌、秋歌、冬歌、賀歌、離別歌、羈旅歌、物名、恋歌、哀傷歌、雑歌、雑体、大歌所御歌・他 である。なかでも四季、特に秋・春の歌、恋歌、雑歌が重んじられた。
 鎌倉時代になると、政権は武士に移り、室町時代になっては、宮廷貴族の唯一の文化遺産たる和歌も保持する気力がなくなってしまう。後花園天皇の勅命(1443年)により
、飛鳥井雅世が撰進した『新続古今集』を最後に、勅撰集は終わった。
 和歌の時代には、歌集を編纂する場合、部立があった。平安朝から江戸末期までは、個人の歌集も古今集の部立に倣っている例が多い。
(1) 山家集西行、1190年頃、四季、恋、雑。
(2)夫木和歌抄:藤原長清、1301年、四季、恋、雑。
(3)挙白集:木下長嘯子、1649年、四季、恋、雑、別、旅、哀傷、物名、俳諧、賀。
(4)桂園一枝:香川景樹、1828年、四季、(事につき時にふれたる)、恋、雑、

        雑体、(長歌、旋頭歌、俳諧歌)。
 近代、現代になってからは短歌のテーマを分類する権威ある規範がなくなり、歌集の章立も全く個人の自由である。

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