天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

天地(あめつち)は動くか (7/7)

終りに
 和歌の時代には、為政者、武人までが歌を詠んだので、紀貫之が書いたように、やまと歌が天地(=世論・政治)を動かした例があるやも知れぬ。また近代短歌では、第二次世界大戦の敗戦にいたるまでに作られた夥しい数の戦意高揚歌は、国民を突き動かす力を持ったであろう。しかし終戦後の現代短歌は、多くの国民が享受している情況にはない。短歌を趣味とする人々の範囲にとどまっては、天地を動かす力にはなりえない。いかに多くの人々に読んでもらうか。いわゆる露出の工夫と発表の時機が重要である。
 チュニジアジャスミン革命から始まったアラブの春は、インターネットからの発信で実現した。読みやすい新仮名の口語短歌をツイッターに流して、世論に訴えてはどうだろうか。東日本大震災からの復興は、六年以上が経った現在も進捗はままならない。そんな時に、ローマ教皇統治のバチカン市国聖歌隊が復興支援ソング「花は咲く」を日本語で合唱する情景がテレビに映った。聞いているうちに感動して涙が流れ、止まらなかった。まさに「天地が動く」ほどの力を、この歌(作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子)に感じた。短歌と音楽の違いを痛感せざるを得ない。とは言え世論を動かすようないくつもの歌が詠まれることを期待したい。


参考文献  本文に明記した以外のもの。
(1)渡 英子「大震災という契機」「歌壇」2011年11月号。
(2)和合亮一『詩の礫』徳間書店
(3)北原白秋句集『竹林清興』木俣 修編(靖文社)。
(4)高野公彦編『北原白秋歌集』・風隠集「大震抄」(岩波文庫)。

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2011年11月号