天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句と短歌の交響(2/12)

白秋の小田原山荘(webから)

北原白秋が句作に興味を持ち始めたのは、小田原山荘時代・大正十年の夏であった。短歌の俳句化を試みた。
  日の盛り細くするどき萱の秀(ほ)の蜻蛉とまらむとして
  翅(はね)かがやかす
  萱の秀に蜻蛉とまらむとする輝きなる
歌の方は、芭蕉の句「蜻蛉やとりつきかねし草の上」を本歌としてできたものだが、白秋自身でも句を作ってみたのである。白秋の句は、切れがなくたどたどしい。「萱の秀に蜻蛉とまらむとして輝けり」と添削したくなる。
  紫蘭咲いていささか紅き石の隈(くま)目に見えて涼し夏さりにけり
  紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり
俳句の方は「岩もあはれなり」に特徴がある。ただ、この表現からは、短歌の下句の情感は出てこない。
  おのづから水のながれの寒竹の下ゆくときは聲たつるなり
  寒竹の下ゆく水となりにけり
短歌の結句の擬人法が俳句では入っていないが、同等の情緒は感じられる。
  冬の光しんかんたるに眞竹原閻魔大王の咳(しはぶき)のこゑ
  澄みとほる青(あを)の眞竹に尾の触れて一聲啼くか藪原雉子(きぎす)
  一聲は閻魔が咳か寒の雉子
短歌二首の内容を合せた形で俳句が作られているものの「眞竹」は入っていない。しかし独立した俳句としてなかなか面白い。
  瓦斯の燈(ひ)に吹雪かがやくひとところ夜目(よめ)には見えて街遙かなる
  瓦斯燈に吹雪かがやく街を見たり
短歌では、字数が多い分、作者の立ち位置がよくわかる。それを俳句では結句で表現した。これは成功している。
 このように白秋は習作期を経て独自の定型句を作るに至る。いちいちは挙げないが口語俳句も作った。大正十三年四月以降は、自由律俳句を試みた。白秋の俳句に関わる活動は、昭和二年二月をもって終ったとされる。俳句に白秋独自の文学を打ちだそうという意欲はなかったようだ。