天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

天地(あめつち)は動くか (1/7)

[注]機会詩〈短歌〉ノート(2017-10-09から6回) で、震災の短歌に少し触れたが、ここではそこに焦点を当てて幅を広げてみていく。震災を詠んだ短歌は、鬼神や天地をも感動させることができるか(古今集和歌集の仮名序によればできるはず)、それが表題の趣旨である。

はじめに
 2011年7月12日の国会中継衆議院東日本大震災復興特別委員会質疑」で谷公一自民党議員が、次の短歌を引用して当時の管首相に迫った場面を、たまたまつけていたテレビで見た。
  かかるときかかる首相をいただきてかかる目に遭う日本の不幸
この過激な短歌が、温和な俳人長谷川櫂の作と判って仰天した。彼は古今和歌集の仮名序に書かれた、やまと歌が天地をも動かす力を持つという言葉を信じて、東日本大震災とその後の対応に対する止むにやまれぬ気持を短歌に詠んだ。その『震災歌集』の趣旨を手掛りに、本論では短歌が発揮できる力を検討し、東日本大震災時点の短歌の特徴を過去の震災短歌と比較しながら見て行くことにしたい。

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青磁社より