天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

身体の部分を詠むー耳(7/7)

  ティーバッグのもめんの糸を引き上げてこそばゆくなるゆうぐれの耳
                       梅内美華子 
*上句と下句との間には、読者には分らない因果関係があるのか。分かりようがない。

  母を呼ぶ声聞かんとか最後まであたたかかりき耳のうしろが
                       山本かね子
  さとき耳魚のもてるや砂利を踏む足音(あおと)にさつと遠ざかりゆく
                       小西久二郎
  木や風や鳥のことばを聴きわけて五月の森の地図ゑがく耳
                        大谷和子
*「五月の森の地図」が読者にも見えてきそうだ。

  ひとたびも用ひざるとももろびとは眼鏡のための耳を具備する
                        小池 光
*歌にユーモアをもたらすノウハウが、隠されている。読者は思わず笑ってしまう。結句の断定的言い方がおもしろいのである。理屈を気にしないで、一方的に断定すること。

  つづまりに生物かならず役(えき)ありか耳の容(かたち)を人褒めて言ふ
                        秋葉四郎
*上句表現が分かりにくい。生物とは? 役とは? 「耳の容」との関係は? どうも無理がある。

  耳もとで汝が名を呼べどしんとして古(ふる)深井戸のごときその耳
                        桑原正紀
*古い深い井戸に声をかけても、音は闇に吸収されて、反響もない。汝は熟睡中と思われる。まさか、生死の境をさまよっている情景ではあるまい。

  耳尖りやすきこどもよ振りむけよ消えやすき死者の声ひびくとき
                        駒田晶子
*下句が理屈では理解できない。死に瀕している人の声なら分かるが。亡くなった人の声を、敏感な子供に聞いてほしい、という気持は分かるが。

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