短歌における表記の効用(1/8)
小池光の短歌―ユーモア のところで指摘したことだが、小池光の短歌を読んでいてすぐに気づくのは、表記である。近現代の短歌で彼ほど表記に工夫をこらした歌人は稀ではないか。
短歌は耳で聞いて楽しむだけでは不十分であり、文字の配列や表記を視覚で楽しむことが重要。ここであらためて小池光の十歌集について、短歌における表記の効用・効果をみてみよう。
◆ひらがな、カタカナ 1/4
ほそほそとあめ葉さくらに幽(かく)れつつ炸裂せむとするものつつむ
『廃駅』
南方のくだものを裂く皿のうへたちまち立ちぬあんにゅいの靄
『日々の思い出』
どんよりと河馬状のもの空をゆくけんこくきねん日の飛行船なり
かるきものなきがらといひ重たきもの死体と言へり重さこそ忌(いみ)
ああ椿 造花のやうにうつくしい 3LDKのDにつどひて
切通しよりはしれる風は街上の犬糞(けんぷん)に吹くまひるなりけり
『草の庭』
ゆふちまた行くテラヤマのひとりなるポックリ下駄の、その下駄のおと
ルリカケスのすがたを見むとぱそこんの画面に呼びてをり昼つ方
『静物』
しらゆきの富士の高嶺(たかね)はのぼるときこの上もない単簡なやま
『静物』
*「単簡」は、簡単に同じで、主に明治期に使われた語。
かいらんばんことりと落ちし音きこゆ かたみに知らぬ誰か入れたり
*漢字で書けば、立ち止まることはないが、ひらがなにしたことで、ちょっと立ち止まらせる
効果が生じる。
佐渡がしまに似てゐる雲が鉄塔のうへにとどまるそのとき正午
純白のさらしくぢらのすぢを嚙む 嚙む奥歯のみ歓喜しながら
ダイドコロの片隅にしてひよろひよろと白菜は花、つけにけるかも
*漢字で書けばすぐに了解して読み過ぎるところを、わざわざカタカナにすることで読者を立ち止まらせる。謎があるのではないかと一首に注意を向けさせ、深い鑑賞に導く。
見上げては犬類(けんるい)ワンと吼える間をつなわたりびと進みつつあり
『静物』
ひぐらしのこゑひとたびも聞かずまに五十日の夏はをはりてゐたり
*通常の言い方「聞かぬまに」とはしない。
「やまぎし」の卵売りくるま曇天に鳴らす音楽の天上の楽
みぐるしく一樹の棕櫚の肩の辺(へ)にかたまりの黄塊(わうかい)がせり出しくるも
*状態によく合う表記