天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

知の詩情(15/21)

 では、小池光の短歌における知の詩情の依って来る技法について詳しくみていこう。
初めに述べたように、知の詩情の契機となるものは、読者が短歌を読む際に感じる謎であり、立ち止まって考えさせる措辞である。抒情に乗せられて簡単に読み過ぎる形にはなっていない。
 その第一に取り上げたい方法が、副詞・副詞句の意外で巧みな使い方である。小池光短歌の秘密・特徴の全てがここにある、といっても過言でない。ユーモアと批評つまりウィットの根源である。以下の引用歌で赤字にしておいた。それぞれ、決して無理な使い方でなく、妙に説得力があっておかしい。一々の解説は不要であろう。
  雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ
                      『バルサの翼』
  午後二時となりしばかりに鹿の湯のえんとつよりはや烟はのぼる
                     『日々の思い出』
  神保町交差点よりあつけなく靖国神社の鳥居が見ゆるも
                     『日々の思い出』
  さしあたり用なきわれは街角の焼鳥を焼く機械に見入る
                     『日々の思い出』
  壺的なうつはより箸にとりあげてほのぼのしろきうどんを啜る
                        『草の庭』
  階段をのぼり来たれる足音が扉(とびら)のそとにはたして止まる
                        『草の庭』
  ついと出(で)し切符をつまみ抜きしのみに自動改札すでにとほりぬ
                          『静物
  とりあへず叙景をしたり網膜に焦点むすぶ柿を感じて
                         『静物
  一年の授業を終えていくばくか甘美なる悔(くい)の湧くといふべし
                         『静物
  意味ありげなる電信ばしらが立つてゐてそれはもう国境(くにざかひ)のかんじ
                         『静物
  粟つぶほどの熱心もなくなりてのち教ふる技(わざ)はいささかすすむ
                        『滴滴集』
  水中より抜きとられたる魚(うを)ひとつ桐のまないたをまさしく濡らす
                        『滴滴集』
  座り猫ふりむくときになにかかう懐手(ふところで)する感じをかもす
                     『時のめぐりに』
  人間はもののはづみにドロップの缶の出穴をのぞくさへする
                     『時のめぐりに』
  部屋のうちそとみさかひもなきまでに虫のこゑする九月十日の夜(よ)
                     『時のめぐりに』
  おもへらく上手(じやうず)の手から水がこぼるは手水(てうず)の水が手にこぼるの転
                     『時のめぐりに』
  夕刻のならひとなりて電線にひたすらとまる椋鳥のむれ
                     『時のめぐりに』
  目の裏がかゆくなりたりとおもひしとき突発的にわれ眠りたり
                     『時のめぐりに』

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小池光『バルサの翼』