温故知新(8/9)
第二には、主語の扱い方である。動作の主語を隠すことによる謎かけ。作者以外の主語を明確にせず、その動作だけを述べることで読者を立ち止まらせる。
あち等こち等に突きあたりつつ入りきては納簾のひもの鈴をゆすれり
上句の主語を隠して下句で別の主語を出す方法も不思議感を醸す。
いにしへに瓦を焼きし跡にきて谷よりのぼるひぐらしのこゑ
あるいは、上句でひとごとのように情景を述べ、主語を結句で明らかにすることで、頷かせ笑わせる。
食卓にひきがへるのごとむつつりと膨(ふく)れてをればわれは父おや
三番目にあげたいのは、二重に言い直すことで考えさせる方法。
情緒的言(げん)に言ふときにおのづからやぶれてゐたり野中広務は
四番目には、慣用的な言い方を逆転する方法である。同じ内容なら、通常の言い方をやめて逆転した言い方に変えることで、読者の注意を引きつける。慣用的には、二日二晩というところを、
庭の棕櫚切り倒したる夕べより二晩二日(ふたばんふつか)雨ふりやまず
以上の例はいずれも歌集『時のめぐりに』から採った。
「とり合せ」は、歌の内容が膨らみ、奥行きが深くなり、読者の想像力を要求する方法で、小池もよく使っている。難解になる場合が多い。一例だけあげる。
アルブレヒト・デューラーの目に十六世紀の犀しづかなり桃の花ちる
『滴滴集』
この歌を解釈してみよう。ルネサンス期ドイツの代表的な画家デューラーに、犀が静かに佇んでいる絵がある。そのどこにも桃の木は無いし、花は散っていない。でもよく見ると犀の鎧の皮膚に花模様が描かれているではないか。小池がこの絵を見たのがちょうど桃の花が散る季節でもあったのだろう、絵の花模様を桃の花と見立てた。