天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十四年「亀の日常」

  首出して石に腹這ふ半日を微動だにせぬ亀の日常

  杉山の杉の精霊流れ出づ奥多摩川の水青白き

  秋晴の昼日中から酒を呑むわが幸せの彼岸なりけり

  妻を恋ひ子を恋ひやがて死にゆくを遺伝子に持つわれら人類

  ハリハリと木の葉食みゐる檻の中黒く尾長きフランソワルトン

  双子はやベビーバギーに並べゆくカナリーヤシの並木の道を

  三四郎池を巡ればかなしもよアメリカブタクサ黄に輝ける

 

     生きる   八首

  ビニールの包帯巻ける大欅幹の半ばで伐られて立てり

  大船の山の上なる観世音横須賀線の中に手合はす

  おどろなる萩被さり来長谷寺水子地蔵に揺るる蝋燭

  敬老の日の公園をわがものにカメラ構へる老人の群

  雲ひとつ浮かべる空をまぶしみて秋の日差しに寝返りをうつ

  色染めし人の髪の毛サンプルを並べ吊せり美容院の壁

  化粧品売場の淡き青、ピンク光の中に売り子へり

  うつすらと肉を残せる骨添へり秋刀魚たたきを前に酒飲む

 

  根元より分かれて太き幹ふたつ注連縄巻ける子宝の杉

  青白き水を集めて相模川ダムの下流を右に曲れり

  ネックレス黒き首輪のごと巻けりそこに付けたる小さき錠前

  指ひろげマニキュアの液塗りたれば強く匂へり地下鉄の中

  合祀する戦死者募集 戦犯を除けば成るか国立墓地は

  案内板持ちて居眠る街角の椅子に坐れる黒衣の男

  肌黒き混血少女見上げをり煙草吸ひゐる日本の母を

  むくつけくなりたる子らとあらたまの食を囲めり元日の午後

  夕されば巣を起き出でて顔洗ふカヤネズミはや茅原に棲む

  しまりなき顔になりたり図書館の窓に映れる影を憎めり

  葉の先に赤きめくれきて白き蘂出す蟹葉覇王樹

  気落ちせし主励まし逃げのびし武者七人の名が碑に残る

  千円にふた袋買ふ釜揚のしらす干したる腰越漁港

  子の名義惚ける前にと送り来し母のにほひの貯金通帳

 

     玄(くろ)の季節   七首

  矢印に導かれ入る路地奥の湘南イエス教会

  大楠の梢を洩るる冬の陽に姿は見えぬ鵯の声

  史さんもチャボもうさぎも気配なしいづちゆきけむ赤き板塀

  飛び立ちて海面すれすれ羽ばたける海鵜の行く手釣舟の列

  菰巻ける松立つ庭に瀟洒(せうしや)なる反射炉二塔今にあたらし

  薄暗き水族館の水槽の底に沈める魚のまなざし

  根方より枝見上ぐれば葉の散りし鈴懸の樹の白き骨組

 

     箱根駅伝   五首

  あづさゆみ春の光の中をくる走者の息の白くせはしき

  大いなる差をつけられて冷え冷えと走者の肌に湧くあぶら汗

  「東海道松並木跡」のかたはらに待つ箱根駅伝

  山茶花の葉がつやつやと日に光るまぶしき坂に走者あらはる

  ランナーの息あがりたる苦しみの顔を隠せる春の逆光

 

  多摩丘陵に幾春かけて老いゆかむオランウータン家系図を見る

  海離り森に棲みたるアカガニの食となりたり木の実と木の葉

  島の子の足の踏み場もなかりけり海へ出でゆくアカガニの群

  地を赤く染めて渡れるアカガニを車道に潰す四輪のタイヤ

  満月の渚に集ふアカガニの万歳かなし産卵の時

 

     遊びの果て   八首

  あらたまの川に遊べる緋の鯉のそばに流れ来ひとつ蜜柑は

  颱風に倒れし樹齢四百年アラカシの木に触れてぬくとき

  板状に芝生切り取り出荷するゴルフ場そばに働く夫婦

  竹林に囲まれたれば手なぐさみ竹の細工を受付に売る

  ぽたりぽとぽと腸の中なる滴りを思ひつつゆく天城隧道

  錆つきしモノレール下をたどり来ぬ閉鎖まぢかき遊園の門

  失業の男とわれは見られゐむ金曜に乗る大観覧車

  遊園の空より見たる多摩川は紆余曲折に町を流るる

 

  五平もち串焼きさざえ売る屋台河津桜の土手がにぎはふ

  鯉跳ぬる音に驚き木蓮の蕾ふくらむ春の夕暮

 

     早春   五首

  左義長と名付けしドンドン焼き残る島崎藤村の住みし大磯

  ふる里の声をはるかに眠りたる藤村夫妻梅の木の下

  雪雲の下に人草鬱々と力ためをり春に弾けむ

  雪雲のはざまに春の空ありてまぢかに見ゆる大島の影

  ぶつ切りのさんま、いわしを七輪に炙りて食はす春野島崎

 

  八頭の大蛇が酒に酔ふごとき大き蘇鉄は支へられたり

  駅を出て二時間半を登り来ぬ不伐の森のブナの

  わが担ぐバッグに妻が付けくれし小さきお守「除災招福」

  柏手の音吸ひ込める大楠の虚ぬばたまの闇を抱けり

  次郎長と子分の墓が立ち並ぶ短命なりし石松、小政

  あらたまの原酒を酌みて鰻食ふ常連として鎌倉の谷戸

  梅まつり桜まつりと比ぶれば寂しさまさる梅のよそほひ

  さみしらに絶滅危惧種を檻に飼ふモウコノウマにバク、コウノトリ

  発掘を中断したる寺(てら)跡(あと)をまたも覆へる金の穂芒

  法要のかそけき読経の声聞こゆ白梅紅梅蝋梅の庭

  壁を這ふ蔦の触手は広がりてコンクリートの家抱きしむる

  冬枯れの榎にとまる椋鳥もまぶしみて見る菜の花畑

  山削り建てしマンション屋上に木々植ゑて住む人のいとなみ

  知情意の乙女三人まはだかに光らせて吾を見下ろせり

  空を向く砲身短きの威力頼めり尊皇攘夷

  大名の所有地なりし公園の広大なるをめぐり羨む

  梅林の「一石二鳥」をうべなひて花愛でし後梅エキス買ふ

 

     春野   四首

  多摩丘陵梢の春を味はひて若き麒麟の首立ち並ぶ

  バオバブの木の洞の前子供らにアフリカ象の糞を持たせる

  動物園近し年中無休なる矯正歯科と小児科医院

  春くればエゾユキウサギのマラソン婚三羽の雄が雌の後駈く

 

  古りたれど宝筐印塔隆々と躑躅(つつじ)の花を従へて立つ

  閉店せる蟻川銃砲火薬店鉄の格子戸に春の日当たる

  みすずかる信濃の夜明けひとつ家にうさぎとチャボと老婆目覚むる

  山頂のさくら越し見ゆ人の世の息吹激しき宅地造成

  夜桜の闇の奥処にとどろけり飯山白龍雨乞太鼓

  花を愛で湯に身を癒し酒に酔ふさねさし相模の山懐に

  さくら咲く山の麓の観世音独活一束を買ひて帰りぬ

 

     檻と花   八首

  木の下に枯葉掻き出だす山鳥のかそけき音に春は来にけり

  野良猫の増えたる島の「猫基金」その結末を知らず撫でゆく

  切り出され積み残されし山の辺の矢穴の石は用なさず古る

  「正統派フィリピンショウ」の看板に笑顔並べる南国の娘ら

  尻の肉ふたつふるふる震へれば大陸にありし股裂きの刑

  刑務所のブロック塀に沿ひて立つ高き欅に若葉芽吹けり

  ひよどりの細き嘴舌伸びて桜の蘂を舐めにけるかも

  花咲ける梢に何の鳥の巣か枯木組みたる黒きかたまり

 

  横たはる砂地の床のぬくければ老いて立たざるフタコブラクダ

 

     港   六首

  樹齢約六百五十年といふ幹衰へし羽衣の松

  人の手に生き長らふる羽衣の松の梢に顕(た)つ浅みどり

  陰鬱なる故郷厭ひて富士を見る清水の町に樗牛眠れり

  こまごまと土産物売る土間奥に老婆が守る次郎長生家

  釣人の足場を奪ひ寄せ来たり巌に垂るる春の満ち潮

  山の辺の厄除け魚藍観世音春の日永を海見てたたす

 

  大八洲郷社の杜にはためけり皇孫誕生祝ひの幟

  肩組みて霞ヶ浦の空を見る七つボタンの若き

  着水のしぶき立ちたりぎこちなき霞ヶ浦の水鳥いくつ

  葉桜の青める蔭に並びたり遊行寺歴代上人の墓

 

     新緑に遊ぶ   八首

  ベランダの手摺に並ぶ雨粒の向かうにけぶる朝の湖

  あかときに目覚むるものの音すれば声ひそめたり雨夜の蛙

  霧雨の朝の空を飛び行けり小さきものはひたむきにして

  処女の水木曽に育ちし虹鱒の刺身に酌める「七笑」かも

  襖一枚隔てて泊まる妻籠宿若き夫婦は声をひそむる

  白雲の湧き立つ山のふもと辺に淡々咲ける山藤の花

  迫りくる穂高の峰に気圧されて五月二日はホテルに泊まる

  梓川早き流れを横に避け岩魚の黒き影ただよへり

 

     鎌倉まつり   五首

  鎌倉はお囃子神輿つらなりて八幡宮を目指し進めり

  わが後ろ「紅虎餃子房」の横神輿見てゐる「壷屋」の夫婦

  老いたりといへど裸に露なる肩の神輿の担ぎ胼胝はや

  流鏑馬の奉射あたれば高らかに割れて香れる檜板的

  木の陰に待機させたる救急車雨にぬかるむ流鏑馬の馬場

 

  わがいづれはここを運ばれむマンション十階出勤の朝

  龍(たつ)の口(くち)刑場跡と伝へたり延寿の鐘を撞きて手合はす

  薄き羽根風に光りて沖にゆく色とりどりのウィンドサーフィン

  山の端の小さき祠に額づけり子のため一羽の鷹もらはむと

 

     霊   九首

  枝豆と麦酒を前に話し込む老いたる男女をさな友達

  墓石のあれこれ嫁に話しをり霊園行きのバス待てる間を

  緑陰の墓場に人は憩ふらしあぢさゐの花岩煙草の花

  断崖を四角に掘りし洞残る隠れしものの暗きまなざし

  捕虜となり断食坐禅自死せしを壮挙となせる慰霊塔立つ

  岩窟を抜けて見上ぐる木漏れ陽の若葉まぶしき金剛の滝

  秋川の水面かすめて翻(ひるがへ)るつばめの白き胸毛かなしも

  湖に連れてこられて友を呼ぶ渡り忘れしオオハクチョウ

  ころころと伏流水にころがりて湖底に育つ丸きマリモは

 

  目の周り朱にくまどれる雄なればカンムリキジは檻に高啼く

  古へゆ石切り出せる生業に山神祀る真鶴岬

  味気なきビル立ち並ぶニュータウン環壕集落跡地を囲む

  市庁舎の真白き壁に葉の触るる大き青桐をつくづく見たり

  駅に棲む鳩は恐れず乗客の足混み合へるタイルを歩む

  水槽の岩場に立てるペンギンが壁に描かれし南極を見る

  ミニブタの名前は「さくら」遊行寺の庭に連れきて鳩と遊ばす

  砂浜に羽根休めをり江ノ島の色とりどりのウィンドサーフィン

  ベランダに海を見てゐる文学館みかんの花の甘く香れる

  若き日の記憶は失せてしづもれり樅の林の大学山荘

  植林の昔を暗く残しけりうち捨てられし檜の林

  春くればカメツリ家族現れて魚獲りはじむ山間の川

 

     口・顔・手足   九首

  血液が不足してゐる新宿の地下に差し出す細き右腕

  卵より孵りて今は川に佇つ白鷺朝の餌を狙へり

  今月は護摩木が足らぬと貼り出せり奥に煤けし赤不動見ゆ

  がうがうと螺旋軌道を落ちゆけり燕鳴く空の

  キリキリと白海豚鳴く水槽の窓に覗ける人間の顔

  死ぬまでを泳げば時にあくびする口大いなるマイワシの群

  俳句、短歌、詩を読む会に並びたりペディキュア青きサンダルの足

  ぜんざいの後に食ふべし塩昆布歯に貼りつくを渋茶に流す

  三つ巴犬三匹がびようびようと風巻き起こし炎天を駈く

 

  それぞれに邪鬼踏み敷ける四天王が四隅に守るふれ愛観音

 

     画家の視線   七首

  目つむれば仏陀が側に御座しますサールナートに立つ沙羅双樹

  闇としてモスクは立てり月読みの光青澄むイスタンブール

  夜を歩き昼を眠らむ朝明けの赤き砂漠をキャラバンがくる

  闇まとふ椰子の木立の上に出づティグリス河の元旦の月

  曼陀羅として描きたり塔、伽藍墨汁が滲む斑鳩の里

  地図の上に三聖人を描きたり釈迦がとりもつ右手、左手

  復元には反対といふ 砲弾に破壊されたる石仏の顔

 

  名宝の陳列ケースに濡れて見ゆ翡翠の色の高麗青磁

  水中に内臓透けるアオリイカはかなく振れるうすものの鰭

 

     北の   十一首

  脱獄は素裸なりき野に出でて案山子の衣服奪ひ逃れき

  己が身を水面に映し出所せり網走川の橋渡る時

  護送さるる囚人今も変はらざり手錠腰縄に繋がれてゆく

  アザラシが集ふはいつの頃ならむ とつかり岩に立つ波しぶき

  返らざる北方領土を望み見る島影淡き横雲の空

  細長き島の奥処に煙吐く爺々岳見ゆる北方領土

  這ひ松もオドリカンバも地に伏して風やり過ごす知床峠

  乗る人を待ちて佇む馬二頭微動だにせぬ霧雨の中

  はろばろと原野をたどりきて白き闇見き霧の摩周湖

  青白き大鵬銅像かたはらに太れる妻をデジカメに撮る

  あからひく日に向かひ飛ぶわが座席襟裳岬を右下に見て

 

     仏像めぐり   四首

  炎天の石畳の上に立ち尽くす眼鏡曇れる托鉢の僧

  乱雑に靴脱ぎたれど正座して神妙に聞く和尚の読経

  竹林の白き粉噴く今年竹人の手形に擦れて光れる

  真言の意味分からずも書き写す灯明揺るる御仏の前

 

  ガソリンを補給して出づ国道の路肩に揺るる山百合の花

  梅雨明の風に靡ける噴水の飛沫かそかに頬に吹きくる

  日本の主権危ふき時の間をヴィンテージ見るワイン貯蔵庫

 

     うつろひ   七首

  男根をだらりと下げて弓を引くヘラクレス像黒雲を撃つ

  バルザック像が見上ぐる雲早き夏と秋とのゆきあひの空

  茶を飲めるもののふの影壁に射す木槿、芒を活けし竹筒

  さやさやと秋風に揺るうら若きメタセコイアのさみどりの梢(うれ)

  臍出せる好処女来たり「うつろひ」は芝生に立てる銀の針金

  逝く夏の日射に濡るる青蜥蜴明月院の砂地を走る

  様々の古き時計を並べ売る蚤の市にも秋は来にけり

 

     里山   六首

  七名の名前刻める手水鉢村から出でし日露戦役

  若者が神輿かつぎし白丁を洗ひ浄むる神井戸(かめゐど)の水

  しゆるしゆるとシラカシの肌をすべり落つ座間里山の虹色の蛇

  ミシシッピアカミミガメに荒らされて小魚棲まぬ里山の池

  空高く舞ふ鳶の目が射とめたる地上の蛇は蛙を狙ふ

  とらへられ砂掻き散らすミシシッピアカミミガメは箱にもがけり

 

  うら若き自衛官に聞く試験艦「あすか」の持てる新鋭装備

 

     秋彼岸   八首

  ぺつたりと胸を預けて背負はれし少女は父の匂ひを嗅げり

  創業は明治三年すめろぎの御口も愛でし草加煎餅

  軒先に日の丸飾る仲見世の人押し分けてゆく浅草寺

  情熱はかく冷え冷えと燃ゆるべし数限りなく咲く彼岸花

  突堤に群れて口開くウミネコは一羽の鳶に距離おきて立つ

  コスモスの草むら揺らし虫を追ふ遊びせむとや今日の野良猫

  手に持てる食べ物襲ふ鳶ならむポールの先の眼するどき

  フランスの帆船を模し浮かべたり箱根権現御手洗の池

 

  檻にあれば人の視線の煩はしエリマキキツネザルの雄叫び

 

     模擬葬儀   五首

  模擬葬儀見学会に参加する今日は焼き場に煙が立たぬ

  バイオリン遺影を前に子が弾けるサザンオールスターズ涙のキッス

  カプセルにお骨を詰めて打ち上ぐるロケットもあり行方知らえず

  旬の野菜、山菜、木の実あつらへて通夜振舞ひに故人を偲ぶ

  模擬葬儀見学会に通夜料理試食してゐる夫婦連れはや

 

  天井に映し出だせる星空に生れて消えゆく青き流星

  ふと座る日向のベンチ去り難し焼ぎんなんの鍋こする音

  地区毎に競ふ囃子の笛太鼓源平池の蓮の実が飛ぶ

  雪残る黒髪山はかすみたり衣替へにし奥の細道

  一箱に二食分あり横須賀のお土産に買ふ海軍カレー

  緑青の色美しく古りにけり展示されたる銅骨臓器

  韓国産松茸パックの匂ひ嗅ぎ値札確かめ元に戻せり

  鉄塔のはるか上なる虹の橋山から町へ少女が渡る

  三つ姫柚子五つ買ひにけりめでたかりける極楽寺

  舎利殿の舎利の虚実をわが問へば信ずるのみと僧は笑へり

  心にも傷が残ると竹林の落書禁ずるいましめの札

  自動車の窓から首を突き出して町の匂ひを嗅ぐは犬なり

  拉致されて今は特権階級に棲むとし聞けば複雑になる

  弟の言動細かく分析すうれひ顔なる兄の口髭

  寝につけば今日の言動悔やまれて闇の深きに寝返りうてり

  一鉢の土に養ふ力ありあをあを立てる観葉植物

  背に胸に寝具、食器をぶら下げて男あゆめり朝の国道

 

チャボ