天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句を詞書とする短歌(4/9)

 歌集『臓器』(2000年刊)「わたしの会つた俳人たち」一連から。
さみだれを集めて早し最上川  芭蕉〉のアクロスティックとして、十七首とそれぞれによく知られた俳句を詞書に付けた。アクロスティックとは、折句(おりく)のこと。十七首の短歌の初字をつなげると、「さみだれ」の芭蕉句になるという趣向。以下では、十七首のうちの三首のみ鑑賞する。
  かもめ来よ天金の書をひらくたび     三橋敏雄
  つくゑありとても簡素な椅子二つ俳句の死ぬまで話さうと思ふ
「天金の書」とは、上方の小口に金箔を貼り付けた洋装本。俳人・三橋敏雄は、二十数年間、運輸省航海訓練所練習船に乗って、遠洋航海などに従事した。句と歌の情景は、三橋の事務長船室でのこと。岡井は三橋になり替わったのだ。
  少年来る無心に充分に刺すために     阿部完市
  判断をして後迷ふ一本の杭のあたまのあかあきつかな
句は、安保闘争時のテロ事件を背景にしていよう。歌の方は、刺客となった少年を「あかあきつ」に転じて、心の迷いを詠ったもの。
  愛されずして沖遠く泳ぐなり       藤田湘子
  みんなお前がわるいのだつたくろがねの門のとびらの前に立つとき
句は、作者・湘子が、師の水原秋桜子から冷遇された一時期の心象風景である。歌はそれを受けて、湘子の当時の姿を想像させる仕組み。

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天金の書(webから借用)


 

俳句を詞書とする短歌(3/9)

 以下では、意図的に組み合わされたと思われる俳句と短歌の一連を持つ歌集からいくつか例をとりあげて鑑賞を試みる。どのような交響があるのか、ギャップが大きく難解な場合も多い。
歌集『神の仕事場』(1994年刊)「死者たちのために」一連から。
  来し方や東西南北ただ遠樹   苑子
  父母(ちちはは)の墓にまうでて父のみに申す 頽れゆく大魚の日々を
中村苑子の句は、来し方のどこを振り返っても、ただ遠くの木を見るような思いだ、という感慨。短歌の方は、来し方のうち「頽れゆく大魚の日々」につき、墓参で父に報告している。「頽れゆく大魚」とは、衰退してゆく結社アララギ(1998年に解散)のことと解釈できる。岡井隆の父母は、アララギ歌人であり、隆もアララギから出発した。
  密着の枇杷の皮むく二人の夜  狩行
  卓上にめがねを置きぬなに故に置きしや盲(めし)ひつつ抱かむため
俳句も短歌も、男女の仲睦まじくエロチックな夜の時間を詠んでいる。俳句の情景の後に、短歌の情景が続くように歌を作ってある。
歌集『大洪水の前の晴天』(1998年刊)「与謝ノ蕪村賛江」一連から。
  〈人の世に尻を据(す)ゑたるふくべ哉〉  蕪村
  東より風ふく朝は窓明けて酔生スレド夢死ヲネガハズ
句の方は、瓢箪の安定した形状が俗世に開き直って生きているように見えるということで、瓢箪の擬人化。顔回の故事・箪食瓢飲を踏まえているらしい。短歌の方は、そんな生活の一こまを詠んでいる。下句は顔回あるいは蕪村のつぶやきとした。

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岡井隆全歌集Ⅳ(思潮社

 

新元号「令和」発表

閑話休題

 

 新元号発表の日は、朝からテレビの前に陣取って、成り行きを見守った。フジテレビであったか、人とAIとで元号を予想していた。結果はいずれも外れていた。AIといえど人間が情報とアルゴリズムを与えるので、それが適切でなければ予想は外れる。検証の説明なくしてAIを信じてはならない。
 菅官房長官が新元号は「令和」だと発表した直後は、ピンとこない思いを抱いた人は多かったようだが、万葉集・巻五の梅歌三十二首の序文を典拠とする、という説明に納得して不満を言ったりケチをつける人は皆無であった。国民の大半が高く評価し、祝福し始めた。世界各国に通知されたが、さっそく中国の新聞は、梅にせよ漢字にせよ中国文化の影響下にあると報道した。それにしても日本の文化の継承の仕方に敬意をはらってもらいたいものである。ともかく、この日の日本は、まことに平和で祝福された国に思えた。
 日本文学の研究者ロバート・キャンベル氏は、典拠の万葉集を離れて、「平和を制定し推し進める」を意味する元号だと、令和を漢字に基づいて解釈していた。もっともであり、有難い説である。これから一か月間は令和フィーバーが続くのだろう。

     令和とふひびき新し朝桜
     平成を惜しみ令和に花見酒

  大化から二百四十八番目新元号は令和となりぬ
  万葉集巻五の序文を典拠とす「令和」「令和」と皆ことほげり
  令和なる文字の名前の人達を探し出だしてインタビューせり

  「和を以つて貴しとなす」新元号「令和」のもてる意味にあらずや

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元号「令和」発表

俳句を詞書とする短歌(2/9)

[注意]このシリーズには、2017年8月17日から連載した「俳句と短歌の交響」というシリーズと重複する箇所があります。


岡井隆の場合
 俳句を詞書にしている短歌は、読者にとっては、先ず俳句を読み、それを本歌として短歌ができたと思って、両方を鑑賞するのが通常であろう。実際は、短歌の方が先にできて、後からその内容と響き合う俳句を詞書に配することも有り得る。この点、作品を解釈する際には、留意しておくことも必要であろう。
岡井隆の歌集で、俳句を詞書にした歌が最初に現れたのは、歌集『人生の視える場所』(1982年刊)の中の「2.趨る家族」であった。この歌集では、詞書を大胆に用いるのみならず、巻末には自注が付されているので、詞書や歌のつくられた背景を知ることができる。一例を紹介しよう。
  夏の雨きらりきらりと降りはじむ  草城
  頸椎(けいつい)を内よりひらき髄を見るあはれなる生やかくのごとき死や
岡井の自註には次のようにある。対応部分を引用する。
「ある夏の朝の病理解剖室での仕事のスケッチ。草城の句に代弁させたのは、おそらく、雨が降り出したからであろう。」
 以降の歌集においても岡井隆は、頻繁に短歌の詞書に俳句をつけている。両者の間に直接の関係がない組合せもある。例えば、短歌を作った時期、たまたま正岡子規について考えていたので、子規の句を詞書にした、というような。

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『人生の視える場所』思潮社

 

俳句を詞書とする短歌(1/9)

まえがき
 周知のように、和歌の詞書(題辞、題詞)の役割は、和歌を詠んだ趣意、背景を述べることにあり、万葉集以来よく使用されている。わが国の古典文学においては、この詞書の部分が物語にまで拡張されて、『伊勢物語』や『大和物語』のような歌物語という新たなジャンルが生れた。
 近代以降、詞書は短歌の従属的な位置づけになっていたが、岡井隆に見られるように、詞書の部分に短歌との詩的相乗効果を狙った俳句、短歌、散文詩などを持ってくる作品が出ている。
 本文では、詞書に俳句をもってくる短歌作品について、その効果をみてゆきたい。作品の鑑賞には、俳句と短歌のコラボレーション、交響という観点が必要になる。交響の具合を、省略・充実・転調・対比・反転・展開といった面から吟味することになる。本歌取りを考慮することも有用。作者の意図とは異なる解釈が出て来ても、交響をたのしめればそれでよしとされるであろう。
 岡井隆とは別に、意欲的に俳句を短歌の詞書にした歌人藤原龍一郎がいる。以下では、この二人の作品について見て行く。

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伊勢物語岩波文庫

時を詠む(5/5)

  いつの日の雨を溜めいし空缶かこぼせば〈時〉がまた水になる
                       福崎定美
  火も人も時間を抱くとわれはおもう消ゆるまで抱く切なきものを
                      佐佐木幸綱
  にんげんの時間は背骨のなかにある樅を見上げてわれ息深し
                       渡辺松男
  霧うごき木の花の匂ひ流れたり久遠(とは)の時間のなかのひととき
                       雨宮雅子
  触つてもよいか その手にふかぶかと過ぎし時間は甘美なればなり
                       日高尭子
  女男(めを)もなく 日も夜もあらぬ 天地の冥(くら)き原初の時を

  さすらふ                 岡野弘彦


  刻惜しみ時を費し年重ねこころと身体いつしか添わず
                      影山美智子
  時をわれの味方のごとく思ひゐし日々にてあさく帽子かぶりき
                       澤村斉美

 福崎定美の歌: 下句の表現が当たり前のようだが巧み。
 佐佐木幸綱の歌: 抱いているものが時間だという。それが消える時とは、火や人が消える時であろう。人は死ぬまで切ない時間を抱いている、という。
 渡辺松男の歌: 上句の感受性が独特。下句の状態から導かれたものであろうか。
 日高尭子の歌: 手で愛撫されて甘美な時間を過ごしたのだろう。その魔法の手に触ってもよいか、と相手に聞いている。
 岡野弘彦の歌: 人間の生活と時間の本質について、感想を詠ったようだ。
 澤村斉美の歌: 若き日の思い出のようだ。

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帽子

時を詠む(4/5)

  焼あとの運河のほとり歩むときいくばくの理想われを虐(さいな)む
                        前田 透
  そばだちて公孫樹(いちやう)かがやく幾日か時を惜しめば時はやく逝く
                        長澤一作
  売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
                        寺山修司
  圧縮されし時間がゆるくもどりゆくインターチェンジの灯の中くだる
                        高安国世
  桃太郎の真紅の絵本ころがれる夜の畳、そこに時間(とき)の断崖(きりぎし)
                        塚本邦雄
  ゆれやまぬ万象なんぞ茫々と時はおやみなくながれつづける
                        加藤克己
  杳(はる)かなる彼方ゆ時の還(かへ)るがにうつつにひとを妻と呼びつつ
                        久津 晃

 前田透は、歌人前田夕暮の長男。昭和13年にの経済学部を卒業、扶桑海上入社。翌年、台湾歩兵第二聯隊補充隊に入隊。経理部幹部として、中国、フィリピン、ジャワ、ポルトガル領チモール島に派遣された。戦後は、夕暮歿の白日社「詩歌」を継承した。(詳細はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/前田透 を参照。)
 高安国世の歌からは、仕事で緊密であった時間が、自動車でインターチェンジを通っていくうちに、日常生活のゆるやかな時間に戻っていく感覚が読み取れる。
 塚本邦雄の歌: 子育ての頃の思い出のように感じられる。「真紅の絵本」が目立つ。
 加藤克己の歌: 万象とは、この宇宙に存在するさまざまの形、あらゆる事物のこと。時間の独立性を詠んでいる。
 久津晃は、戦争末期に満州に渡って戦後の混乱に巻き込まれ、幾度も死線をくぐったという。歌は、老いても妻とささやかながら幸福な生活を送ってきた時間を振り返っているようだ。

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柱時計