天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

薬を詠む(2/6)

  速記者としては老い過ぎし我を待つ行かんか持薬を多目にのみて
                       大家増三
*持薬: いつも飲んでいる薬。また、用心のために持ち歩いている薬(大辞林
 第三版)。

 

  罐にみつる夫の薬のいく種類魑魅のごとくにわれは懼るる
                       林田 鈴
*魑魅: 「ちみ」あるいは「すだま」と読む。魑魅魍魎と熟すことが多い。
 いずれも山林の精気から生じ、人を迷わすというばけもの、を意味する。

 

  見据ゑてはものいふなかれ白濁の薬を嚥みてしづけきときに
                       佐竹彌生
*見据える対象は、「白濁の薬を嚥」んでいる作者のこと。よく分る気がする。

 

  父の薬受け取りにゆく坂道に嵐来たれりまうしろは海
                       大滝和子
  食後のむくすり十一種十三錠ひとつ足らぬといひて嘆かふ
                       小池 光
*読者は、「十一種十三錠」で立ち止まり、どの薬を何錠ずつ飲んでいたのか、
 ふと疑問を持つ。そこが歌のポイント。

 

  日蝕のひととき過ぎて暖かく薬の匂ふ室にはたらく
                      本間百々代

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日蝕

薬を詠む(1/6)

 病気や傷を治すために飲んだり付けたりするものが薬で、種類には、水薬、粉薬、丸薬、塗り薬、煎薬などあり。薬喩は、薬品を入れた風呂や薬効のある温泉をさす。
くすりの語源は、「くさいり(草煎)」が転じたもの(語源辞典)。なお
 石麿にわれ物申す夏痩に良しといふ物そ鰻取り食(め)せ
                    万葉集大伴旅人
のように夏痩せに鰻が効く、という間接的な薬効を詠んだ歌があるが、このシリーズでは、直に薬を詠んだ作品を取り上げる。

 

  わが盛りいたく降(くだ)ちぬ雲に飛ぶ薬はむともまた変若(をち)めやも
                    万葉集大伴旅人
*「雲に飛ぶ薬」とは、空中を飛ぶことのできる仙薬のこと。一首の意味は、
 「私の盛りの時は過ぎてしまった。雲の上を飛べるような仙薬を飲んだとしても
  若返ることはできないだろう。」

 

  きみがため春ごとにつむ若菜こそ老いず死なずのくすりなりけれ
                       藤原教長
  浪のうへにくすりもとめし人もあらば藐(は)姑(こ)射(や)の山にみちしるべせよ
                    新後撰集・寂蓮
*藐姑射の山: 中国で不老不死の仙人が住んでいるという想像上の山。姑射山。

 

  薬のむことを忘れて、ひさしぶりに、母に叱られしをうれしと思へる
                       石川啄木
  道のべに涌井(わくゐ)ありければ薬服む水をもらひて車とどめき
                       中村憲吉
*下句の動作順序は、「車とどめて水をもらひき」となるべきだが、「薬服む水」と
 続けたいための苦衷の表現であろう。

 

  八幡山のその中腹に医師(くすし)ゐて薬盛るこそ寂しかりけれ
                      結城哀草果
八幡山は日本全国にある。結城哀草果は、山形県山形市菅沢出身で、生涯を山形市
 菅沢にて暮らした。とすれば、この歌の八幡山は、山形県天童市にある標高212mの
 ことであろう。

 

  夜ふけて喉かわきたれば啜りたる冷(ひえ)茶(ちや)は慣れし薬の匂ひす
                       原阿佐緒

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八幡山

感情を詠むー「恥づ・恥」(2/2)

  おお朝の光の束が貫ける水、どのように生きても恥
                      佐佐木幸綱
  生きのびて恥ふやしゆく 日常は眼前のカツ丼のみだらさ美しさ
                      佐佐木幸綱
  骨折した恋をうたえば恋歌がどこか子守唄に似る恥ずかしさ
                      佐佐木幸綱
*「骨折した恋」は、失恋とは違うように思える。骨折は治療によって元に戻る
 場合が多い。よってその恋歌には、元に戻る期待、なぐさめが詠まれるだろう。
 子守唄のように。

 

  いまいえばまた自らを縛るべし恥多きわれをおとしめる声
                       武川忠一
*下句の「われをおとしめる声」は、他者の声であろう。それに対して反論すれば、
 上句のような状況になる、という構文か。

 

  ものいえば激しくるべし雪の原恥見え悔見え風狂ならず
                       武川忠一
*雪原に立って自分の言動を思い返しているようだ。

 

  おのずからなるものなどはなし年々に重ねきたりてたとえば恥も
                       武川忠一
  ことば持たば問ひ一つづつ拾ひ来むわが置きて来し恥も一つづつ
                       辰巳泰子
*我々は言葉を持っているがゆえに、過去の恥を問い直すのが実情。この歌は、
 それを裏から表現したようだ。

 

  ゆつくりとエレベーターのドアしまりひとつの恥とともに降(くだ)れり
                       伊勢方信

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カツ丼

感情を詠むー「恥づ・恥」(1/2)

  辱(はぢ)を忍び辱を黙(もだ)して事も無くもの言はぬ先にわれは依りなむ
                   万葉集・作者未詳
*竹取の翁が詠んだ長歌と二首の歌に、九人の仙女たちが和えて詠んだ歌の一つ。
 意味は、「恥かしい行いをしたのにも耐えて言い訳せずに、何を置いてもまず
 あれこれ言う前に私は翁の教えに従います」

 

  里人の見る目恥づかし左夫流児(さぶるこ)にさどはす君が宮(みや)出後(でしり)ぶり
                   万葉集大伴家持
*左夫流児: しなやかな美女、うかれめ、遊女。
 さどはす: 血道をあげる。
 「この私までが恥ずかしいよ。左夫流子に血迷っていそいそと出勤していく
  後姿を里人達が笑っているのをみると。」
 家持が部下の所業に対して説教したのだ。

 

  人間のいのちの奥のはづかしさ滲(し)み来るかもよ君に対(むか)へば
                       新井 洸
*向き合って話していると、こちらの生き方が恥ずかしくなるような人がいるものだ。

 

  たはやすく口にまうして昨日恥ぢ今日も白(まを)さく言のよろしさ
                       島木赤彦
*恥ずかしいことをしたと、簡単に口に出して言うことができる人は羨ましい。

 

  いふことの思ひ忘れし笑み声におのづと恥らふ人にうれしく
                       福田栄一
  逃亡を恥と信ずる悲しみの言ふべくもなく曳かれゆきたり
                       山本友一
*信条が大きく異なる政権の国に生きることは苦しい。反抗しないで逃げ出せれば
 楽なのだが。


  かさなりてかさなりて恥かさなりてかさなりてかさなりて苹果(アツプル)
                       岡井 隆
*さんざんに恥を重ねてリンゴのように真っ赤になったのであろう。人は恥をかくと
 赤くなる。赤つ恥をかく、という。

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アップル

感情を詠むー「驚く」(2/2)

  浅き水にすすき風さとはしるさへ驚きやすく鹿の子のゐる
                        前川佐美雄
  鉄片を打ちつづけゐて「ああ」といふ声あげしときわれは驚く
                         福田栄一
  海を観て太古の民のおどろきを我ふたたびす大空のもと
                        高村光太郎
*上句は観念的で共感しにくい。具体的な場合が様々ありうるからである。
 それは読者の鑑賞に預けるという作り方。

 

  許せ君
  かかるわれだに恋はるると知りし涙のーこのおどろきを
                         土岐善麿
*相手から「好きです!愛しています。」と言われた時の切なさ。

 

  古新聞!
  おやここにおれの歌の事を誉(ほ)めてあり、
  二三行なれど。                石川啄木
*友人らと共に『岩手日報』に短歌を発表していた時期があった。

 

  ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆(きづな)となるな
                        富小路禎子
富小路禎子は、敗戦で没落した旧華族の娘であった。旅館の女中などを経て
 日東化学工業に勤務、定年まで勤めた。生涯独身であった。愛の絆をもつことを
 自らに禁じていたようだ。

 

  目ざめゆく梅、はじめての純白の花咲かせたり驚きのごとく
                        佐佐木幸綱

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鹿の子

感情を詠むー「驚く」(1/2)

 「驚く」とは、心の平静を失う、びっくりすること。「お(怖)」を語根とし、「おーおづーおどるーおどろく」と発展(語源辞典)。

 

  夢(いめ)の逢は苦しかりけり覚(おどろ)きてかき探れども手にも触れねば
                     万葉集大伴家持
*家持が坂上大嬢に贈った恋歌十五首のうちの一首。「夢の逢」とは、夢のなかで
 会うこと。

 

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
                     古今集藤原敏行
立秋の日に詠んだ歌。視覚と聴覚の対比という構図で、古今集の典型的な
 理知的作風。

 

  世中(よのなか)を夢と見る見るはかなくもなほおどろかぬわがこころ哉
                       山家集西行
  梅が香におどろかれつつ春の夜のやみこそ人はあくがらしけれ
                     千載集・和泉式部
*「梅の香に恋人の袖の香を思い出し、はっとさせられる。春の夜の闇こそ人の心を
  虜にするものだ。」

 

  驚かぬわが心こそ憂かりけれはかなき世をば夢と見ながら
                       千載集・登蓮
*先の西行の歌と同じ内容である。生きた時代も両者は重なっている。

 

  きのふ見し人はいかにとおどろけどなほ長き夜の夢にぞありける
                      新古今集慈円
*「昨日会ったばかりなのに、またどうして(急に亡くなったのか)と驚くのだが、
  所詮人生は長い夜の夢でしかないのであった。」

 

  夜な夜なは眼のみさめつつ思ひやる心や行きておどろかすらむ
                      後拾遺集・道命
*「毎晩毎晩目は覚めてばかりであなたのことを思っている私の心が飛んで行って、
  あなたを目覚めさせているのでしょう。」

癒される短歌

 日本の詩歌の根源は和歌・短歌にあり、歴史は大変古いが、文藝としての手法は、現代でも様々に工夫されている。ただ、手法ばかりが目立って、心に浸みる癒される作品は案外少ないことにガッカリする読者もいるだろう。
 客観写生、実相観入が盛んに推奨された時代、暗喩や虚構を多用する前衛短歌の時代などを経てきたが、日記のように事実を述べる歌は、ダメとよく言われる。一方で、短歌は日記替りになり、事実が内包する驚きは、詩の核になるとの意見もある。
 理屈はどうあれ、読者にとっては、何よりも心癒される作品こそが貴重なのである。その例を今年の「短歌人」8月号から、以下に紹介しよう。作者は、同人の佐々木通代さん。

          工事日誌    佐々木通代
  キッチンにほどけつつある芍薬のつぼみがにほひ令和十日目
  にしまどの曇りガラスにひとの影みぎへひだりへ足場をわたる
  モーター音金属音はせまりきて高圧洗浄されをり家は
  あまたなる色見本よりえらびたる琥珀に家の壁ぬられゆく
  「おやぢさん」と呼びかくる声わらふ声ひとしきりして昼休みらし
  灰いろのシートに透けて鉢の面にメダカの赤がしきりにうごく
  足場のすみのケースのなかに一冊の「工事日誌」はしまはれてをり

 

 内容自体は、まことに日常そのものであり、誰しもが似たような経験や見聞した事柄を題材にしている。短歌手法も目立たない。しかし一連を読み通すと、何とも言えず気分が落ち着き、癒されるのである。良い短歌をつくる上で、大変示唆に富む作品と言える。技術面からみてみよう。
 短歌定型に従い、旧仮名遣い。語順、漢字と仮名の使い分け、適度のリフレイン、言葉の選択 などを指摘することができる。しかしこれらを作者のように何気なく自在に使いこなすことは、容易ではない。
 ところで、この作品の最大の特長は何か? 事象の選択と推移にある、と言いたい。たるみがなく、イメージが実に鮮明なのである。それが忠実な短歌作法と相俟って成功しているのだ。
 そう簡単に真似できるものではないが、短歌を詠む上で大いに参考にしたい。教材にしたい。

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今年の「短歌人」8月号