天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

真鶴岬

花萱草

 今日は久しぶりに真鶴岬に遊ぶ。電車の中では、布団の枕元に積んだままにしていた『紀貫之』(藤岡忠美著、講談社学術文庫)の続きを読んだ。貫之の和歌習得の過程が、おぼろげながら判って面白い。
  春の野に若菜摘まむと来し我を散りかふ花に
  道はまどひぬ 
これは、先行する
  春の野にすみれ摘みにと來しわれぞ野をなつかしみ
  一夜寝にける    山辺赤人
  さくら花散りかひくもれ老いらくの來むといふなる
  道まがふがに    在原業平
の二首を踏まえていることは見やすい。貫之十代から二十歳の頃の作という。今からすると微笑ましいくらい幼い。これが古今和歌集の撰者のひとりであり仮名序を書いた歌人の初学時代である。
六歌仙古今和歌集が成立する時代こそ、和歌が日本人の文芸として確立する時期なのである。技法が開拓された画期的時代なのである。漢詩に詠われた情緒が日本人の感性として根付いたのもこの時代。例えば、秋は悲しいものという観念である。万葉集の歌にはまだ現れなかった。
 またまた正岡子規に思いがおよぶが、明日はいよいよ衆議院議員選挙の日だ。このところテレビで盛んに政党のマニフェストなるものを党首が声高に叫び、相手側を非難するのを聞くにつけ、子規が古今和歌集紀貫之を徹底的にけなしたやり方とそっくりではないか。子規は政治家の資質がゆたかであったような気がしてくる。
 真鶴岬の沿岸を時計回りに、真鶴港からたどると、魚座琴ヶ浜、番下、戒崎、赤壁、対石、三つ石、番場浦、榊下、亀ヶ崎、黒崎、高浦、大浜、浮根、御茶水、尻掛 という地名が続く。もちろん地図上のことである。今日は、魚座までバスに乗り、そこから番場浦までを逍遥した。


   南方に台風生るる長月のもやにかすめる真鶴岬
   頼朝の旗あげ鍋をかこみたる衆院選挙ののぼり旗はや
   大木の松生ひ繁り蝉鳴ける魚つきの森真鶴岬
   原生林の姿のこして大木の繁るにまかす魚つきの森
   逝く夏を惜しみて遊ぶ渚辺の波に浮かびて魚貝とる子ら
   逝く夏を惜しみてひとり波を聞く花萱草の残れる岬
   萱草の花咲きのこる岩陰にときおり聞こゆ海女の磯笛 
 

        パラソルに夏を惜しむや琴ヶ浜
        釣舟の真鶴岬花萱草
        さざえ採る海女の磯笛波の音
        波音に磯笛まじるさざえ採り
        炎熱の無風に鉄路かぎろへり