新古今集の前衛
今日から名古屋に二泊三日で生後一ヶ月あまりの孫娘に会いに行く。車中でもホテルでも塚本邦雄著『新古今集新論』の再読に費やした。何故再読か? 思うところあって塚本短歌の極意をある仮説を立てて論じてみようと企てているためである。
塚本が新古今集の歌に前衛を見た例を二例あげ,彼の解説を要約しておく。
ひととせをながめつくせる朝戸出に薄雪こほる寂しさの果て
藤原定家
下句はガラス状に凍った雪のするどい感触。現代に通用する前衛短歌、塚本邦雄の作じゃないかと言われそう。
面影のかすめる月ぞ宿りける春や昔の袖の涙に
俊成女
この歌は三重構造になっている。「袖の涙」、涙には月が映っていて、月には恋人のおもかげが霞みつつ映っているという、新古今技法の最高峰。象徴技法のゆきつく果てである。
足元に盲導犬を押し込めて新幹線は年の瀬をゆく