天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代詩の衰弱

 鮎川信夫大岡信北川透編『戦後代表詩選』(思潮社)を読み終わったが、人口に膾炙するような作品がほとんど無い印象を受けた。何故であろう?言葉を多く使っているのに、韻律が無いか弱いためもあろう。なによりシュールリアリズムと称して、読者を置き去りにした言葉の羅列が致命的と思える。ただ、一度読んだことがあれば、吉岡実の「僧侶」と聞けば、ああ、あの詩のことだ、というほどの記憶が残る作品はかなりある。鑑賞ができなくても印象には残る。
 『戦後代表詩選』の中に、飯島耕一の「他人の空」という次のような短い作品がある。

     鳥たちが帰って来た。
     地の黒い割れ目をついばんだ。
     見慣れない屋根の上を
     上がったり下がったりした。
     それは途方に暮れているように見えた。
     空は石を食ったように頭をかかえている。
     物思いにふけっている。
     もう流れ出すこともなかったので、
     血は空に
     他人のようにめぐっている。


 一般の読者は、この詩をどう鑑賞したら感動するのであろうか。詩人たちの集まりでしか評価は不可能であろう。飯島は現代詩の前線に立ち、数々の賞をもらっている。その評価は、日本の詩の歴史に位置づけて初めて可能なのであり、極めて専門的な観点からなされるはずである。芸術の世界には、その分野の門外漢には理解不可能な作品が多いのである。