天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

邦雄批評

 坂井修一著『斉藤茂吉から塚本邦雄へ』を一気に読了した。ここには、「Ⅰ 斉藤茂吉」「Ⅱ 塚本邦雄」「Ⅲ 馬場あき子」「Ⅳ 佐佐木幸綱」という四人の歌人についての評論が載せてある。一番迫力を感じたのは、やはり「Ⅱ 塚本邦雄」の部であった。この著者の本領が発揮されている。特に塚本邦雄の作品鑑賞の奥深さでは、坂井の右に出る者はいないのではないか。
 ただ、塚本邦雄の短歌作品は、他の歌人の作品と比較してある面で鑑賞しやすい、といえる。その理由は、一首の完結性が高いからである。読み解くには、古今東西の代表的な文学や歴史に関する知識を必要するが、彼の私生活に関する情報はほとんど必要としない。ここが他の多くの歌人の作品鑑賞と違う状況なのである。斉藤茂吉の鑑賞には、茂吉の日記を座右にしておくことが必須だし、岡井隆にしても彼の私生活に通じていないと理解できない作品が多い。

 以下、特に印象に残った塚本邦雄に関わる批評の断片をあげておく。なお、韻律については、以前にわがブログでも紹介したので新しいことではない。


*多くの場合、茂吉は、この世界と一体化して生の悲劇を表現しようとする。邦雄は、世界を冷淡に見下し、すみずみまで批判し尽くしながら、ありうべき皮肉の美を探る。


*(塚本は)作品の上で最大限に倫理的な現代人たらんとした一人の表現者であろうと思う。・・・様式を忘れ去るよりも、伝統様式をたわめるだけたわめて逆説的な芸を見せることのほうが、現実を強く批判することになる。そういう場所に塚本邦雄は立っていた。


塚本邦雄の韻律
  切分法: 句またがりの多用によって五・七・五・七・七の
      リズムを分断し、あるいは句を強引にくっつける
      ことで、それまでになかった新しい抒情を成立させた。
  初句七音: 初句を七音にすると頭が重くなるが、二つの文節を
      入れるのが容易になり、迫力のある歌となる。大岡信
      分析によれば、本来なら結句にあるべき七音が、一首の
      頭に置かれることにより、歌全体が、終わりから
      ふたたび始まっているような回帰的・旋回的印象を与
      える。典雅で斬新な歌謡調を帯びる。
  結句六音: 結句の字足らずは、塚本個人の詠嘆と現代短歌と
      いう文芸そのものの詠嘆が重なりあうような場所で、
      思い切って放たれているようだ。
  その他、塚本短歌は、韻、特に頭韻の揃え方に工夫がある。


*塚本の創造した「美学」は、芸術至上の香気に満ちて世俗を遮断するような種類のものではなかったようだ。そこに表現された人間心理にはもっと世俗的な歪みが見え、もっとシニカルな苦さが漂う。