天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

『昭和短歌の精神史』(5)

 やっと『昭和短歌の精神史』を読み終えた。あとがきに、この本を書いた趣旨が簡潔に記されている。要約すると、
「私たちが今日読むことのできる昭和短歌の通史は、戦後民主主義の価値観に基づいて書かれている。そのために短歌史は占領期文化の尺度を抜けられないままに描かれ、歌人たちと短歌作品のあるがままの姿が失われた。その歪みを修正して短歌史をより自然な形に組立て直すという課題に応えるために、戦争期と占領期を一つの視点で描き通した。すなわち、作品が示している心を当時の時代に戻りながら、ていねいに掬い上げ、重ねてゆくことである。」

 ところで「かりん」8月号の評論に、日置俊次が「前衛精神の水脈」― 利一から邦雄へ ― ということで書いている。表題に惹かれたので読んだが、資料的な裏付けが乏しく、説得力に欠ける。まして、三枝の『昭和短歌の精神史』が、横光利一塚本邦雄との関係に触れていないのは、この本の欠陥であるがごとく書いているのは筋違いであり、感心しない。日置自身が新しい資料の発掘により三枝に優る新しい論を展開できるはず。ちなみに、塚本邦雄の評論に、横光利一の「前衛精神」について評価している箇所があるとは寡聞にして知らない。日置はもっと塚本の立場や証拠資料をよく調査して論じるべきであった。