天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

前衛短歌と高瀬一誌

 「短歌人」十一月号で、高瀬一誌作品研究を特集している。実は、高瀬調と呼ばれる構文は、前衛短歌に刺激されて生れたのではないかと、以前から疑問に思っていた。この辺の事情はこの特集では全く触れられていないので、歌集の年代について塚本邦雄と比べてみたくなった。
 高瀬の初期歌篇は、昭和二十五年から昭和五十六年までの作品を含むが、この間に出た塚本の歌集は、『水葬物語』『装飾樂句』『日本人霊歌』『水銀伝説』『緑色研究』『感幻樂』『星餐図』『蒼鬱境』
『青き菊の主題』『されど遊星』『閑雅空間』『天變の書』と第一歌集から第十二歌集までの多きにわたる。つまり塚本邦雄の前衛短歌が完熟した期間である。塚本は、従来短歌の韻律へのアンチテーゼとして、句またがり、初句七音、結句六音などを臆することなく多用した。そして高瀬調も期せずしてこの間に成ったのだ。高瀬は塚本の行き方を相当意識したのではないか。


  だれもめぐり逢ふより仕方なき映画が終り風つよき橋
  ある夜無頼のごとく来てその丈高き手品師も酔う
  ビルの影の部分は消えず冬の月光降りそそぎおり
  白き皿ならべるときに心の歪みたしかとなれり


高瀬調の典型は、下句を七七で納めると、例えば第三句の五字がすっぽり抜けても短歌らしく聞こえるところにある。時に擬似短歌と呼ばれる所以である。塚本はここまでは崩さなかった。