天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

韻律に緊張を(続)

 昨日の一例だけでは不十分なので、もう少し敷衍して考えてみよう。例歌を塚本邦雄からとる。奴隷の韻律、第二芸術と貶められた従来の短歌に、彼は革命をもたらさんとさまざまな工夫を試みたからである。
先ずは、語割れ・句またがり。昨日の茂吉の歌も意味的には「すき透らむばかりに」でひとまとまりなので、「すき透らむ、ばかりに深き」と読むと語割れになる。塚本は極端にこの手法を多用した。


  聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫


初めて眼にした当時の歌壇は、こんなのありかよ!と仰天した。読者にすごい緊張を強いる。

 次は、連続の押韻。初句と二句、二句と三句、四句と五句、上句全体と、それぞれの句間などで二語以上連続の頭韻を踏む。


  イエスが唾嚥みこむばかり美しきヴァティカンの罰あたりの衛兵
  こちらへいらつしやいシャイロックろく陸でなし梨の花チルチル・
  ミチル道


これら塚本の歌は、従来の短歌の韻律に馴れた読者には劇薬ともなった。古典派や印象派の絵画に対して前衛絵画を提示したような情況といったらよいか。

とまあこんな調子でもっと丁寧に韻律に緊張をもたらす場合を整理すれば、それなりの評論になる。