天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

山河生動 (9/13)

『百戸の谿』牧羊社

次に龍太の柔軟な句構造について考える。
その前に、短歌の句構造に革新をもたらした前衛歌人塚本邦雄との関係を見ておこう。
飯田龍太塚本邦雄はほぼ重なった年代を生きた。両者の生まれは、ともに大正9年であ
り、逝去は、塚本が二年早い平成17年であった。
塚本が、昭和26年第一歌集『水葬物語』で世に問うた句割れ・句跨りに代表される独
特の韻律の短歌や昭和31年の大岡信との論争については、龍太も当然強い関心をもって
見ていたはずである。彼の柔軟な俳句構造には、先行する塚本の影響を考えざるを得ない。
そこで次の有名句から見ていこう。
  一月の川一月の谷の中           『春の道』(昭和46年)
五七五に無理に当てはめると、一月の・川一月の・谷の中 となって、中七の句割れ、
あるいは初五と中七の句跨りが生じる。/一月の川/一月の谷の中/という意味上の切れ
との微妙な交響である。これこそ塚本が積極的に導入した韻律の革新であった。
なお、塚本は、龍太の秀句を『百句燦燦』で取り上げているが、この句については言及していない。
  花馬鈴薯に白樺の杭を打つ        『百戸の谿』
七五五の句構造で、途中で切れない一物仕立て。 /花馬鈴薯に白樺の杭を打つ/
  百姓のいのちの水のひややかに      『百戸の谿』
言い指し。農作物、特に米を栽培する百姓にとって、水はいのちである。田に行き渡る
前の溝をとうとうと流れている様であろう。田植えまでにはまだ間がある。一物仕立て。
  水滴るる岩や年越す老夫婦          『童眸』
八五五の句構造。この場合の季語は「年越す」で十二月晦日のこと。裏山の大岩から滴
りおちる水を見上げている老夫婦。まだまだ健康な様子が、「水滴るる岩」という措辞から
感じ取れる。次のように切れる。
/水滴るる岩や/年越す老夫婦/