天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

両極端

バタフライ・ブッシュ

 「歌壇」9月号を読み始めてすぐに感じたことがある。巻頭に載っている前登志夫清水房雄、二老大家の作品が、各々の流派を踏まえて両極端に見えること。以下に、5首ずつ上げて要約しておこう。



前登志夫: 大正15年1月生れ、81歳。前川佐美雄
     に師事、「ヤママユ」主宰。

  このままに眠りてしまふわれならず夕焼雲を帽子に掬ふ
  星あかりにわれを尋ねてくるひとのきのことなれり傘をひらきて
  しののめに靴下はきてもの書けるひぐらしの山に狂人ひとり
  夏台風近づくといふ望月に利鎌を研ぎてたかぶる翁
  秋草の山を下れよ山人の怒りうたへよ鱗雲炎ゆ



清水房雄: 大正4年8月生れ、92歳。土屋文明に師事、
    「青南(アララギ分派)」所属。

  高層住宅とり囲むなかの小公園まひる子供の声もきこえず
  たちまちに樹々刈りはらひ明るき丘新興建売り住宅地なり
  ピラカンサ黒き茂りのかたはらを過ぎて入り来ぬ県庁広場
  マイク握り拳かざせるポスター写真戦後世代の政治家の顔
  事実あり事実のままに歌ふのみ平成残余守旧派として


こうして見ると、前登志夫の作品は芝居がかって作意が透けている。反対に清水房雄の作品は、日常記録に終わって、何の面白みもない。両極端の詠み方である。それぞれの師匠である前川佐美雄と土屋文明には、個性ある情感の歌があったのに。私には、師匠たちの方に学ぶことが多いように思える。