天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

中原中也(4)

白鳥(駿府城跡にて)

 詩集「在りし日の歌」を読み終えた。生前、中也が編集し小林秀雄に託して死去した。詩集名は中也自身がつけたのだが、彼としては、それまで作った詩の情緒と別れを告げ、新しい境地に進む意欲であったのだ。皮肉にも遺書めいた名前になった。佐々木幹郎の解説では、先の「山羊の歌」が生の歌であるのに対して、「在りし日の歌」は死後の目から詠んでいるという。
それはともかく、中也は詩をいかなる文芸にしようとしたのであろう。読者に何を期待したのであろう。ボードレールヴェルレーヌランボーなどから学んで日本の詩に何を付け加えようとしたのか。大岡信編『集成・昭和の詩』では、「生の倦怠を独特のリズムでうたって、昭和抒情詩の一頂点をなす」という評価になっている。しかし、彼の詩を読んですごい!という感想は全く湧いてこない。七五調の日本独自のリズム、リフレイン、オノマトペなどにのっかって不健康な心情を吐き出したにすぎない、ではないか。萩原朔太郎北原白秋を読むときのような高揚感がない。