流人の思い
俳人の飯田龍太と歌人の前登志夫についてである。ふたりとも故人になってしまったが、ある共通点がある。
野に住めば流人のおもひ初燕
飯田龍太『百戸の谿』 昭和二十九年刊
夕神楽きこゆるやまの山陰(やまほと)に流人の家族
(うから)冬ぞきらめく
前登志夫『子午線の繭』 昭和三十九年刊
両者に共通する境涯は、都会に出て活躍することを家業の都合であきらめざるを得なかったことである。龍太は山梨から東京に出て国学院大学に、登志夫は吉野から京都に出て同志社大学に、学んでいた。龍太は農業を、登志夫は林業を引き継ぐために故郷に永住することになった。龍太二十四歳、昭和十九年のこと。登志夫三十二歳、昭和三十三年のことであった。
俳句と短歌の違いはあるが、流人になったような疎外感に身を苛まれたのである。但し、これも共通している点だが、そうした境遇ながら、龍太は「初燕」を、登志夫は「冬ぞきらめく」という措辞を持ってくることで、行く末に絶望しているわけでない心情が理解される。
ご両人が会した場としては、迢空賞・蛇笏賞の選考会の後の懇談の席であったらしい。龍太が登志夫の印象について書いたエッセイはあるが、登志夫が龍太について書いた文章は見当たらなかった。龍太は登志夫の短歌作品については、あまりふれていないが、散文、特に『森の時間』は、前登志夫の確かな骨格をあますところなく示す力編であると、高く評価している。登志夫の一見無頼な性格の奥にある繊細さに信をおいていたようである。