天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(9)―

伊藤一彦著・本阿弥書店刊

  生きてゐる証(あかし)にか不意にわが身体』
  
割(さ)きて飛び出(い)で暗く鳴きけり
                   前川佐美雄『捜神』

                            
[伊藤一彦]この歌で大切なのは、「身体(からだ)割(さ)きて飛び出(い)で暗く鳴」いたものの正体ではない。それは佐美雄自身にも分らぬものと言っていい。その姿は見えていないのである。ただ、激しく胸を割かれた思いと、姿見えぬものの暗い雄叫びだけが確かだったのである。佐美雄の中で意識無意識の裡に抑圧していたもののそれこそ身を割くような噴出を歌った作と言えよう。(1993年7月)
[大岡 信]謎めいた印象の強い歌だが、いずれにせよ、暗く鳴いたのは、作者自身のもう一つの姿だろう。作者は戦中の国策協力的な態度を戦後強く批判され、長らく低迷した。その時期の「鬼百首」と題する歌の一首。「暗く鳴きけり」に実感がこもる。(朝日新聞「折々の歌」1997年5月〜1998年4月)