天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(11)―

講談社学術文庫

 斎藤茂吉『白き山』の歌から。次は、昭和二十二年に詠まれた。


  健康のにほひしたらむ楽しさよ平安初期のその肉欲も
                     「山上の雪」


この歌を一首だけ提示されたら鑑賞に戸惑う。茂吉が何を言いたかったのか、背景を知りたくなる。それが、塚本邦雄の『茂吉秀歌「霜」「小園」「白き山」「つきかげ」百首』の中に書かれている。塚本は、歌の作者は無名でよい、個人の事情など考慮して鑑賞すべきでない、との立場をとるが、歌が詠まれた世の中や歴史の背景は、考慮している。というかよく調べている。この歌に次いで


  身毒の渡来以前の女体をばウィンケルマンと共に欲する


が現れる。ウィンケルマンは、1717年から1768年まで生きたドイツの美術史家である。彼の言葉に「さういふ無量の美と高貴な形態を破壊するやうな疾病はいまだ希臘には無かった」がある。茂吉は、ウィンケルマンの「純潔の女体」こそ美の根源であるという思想にひどく共感していた。ちなみに梅毒は、1493年頃、コロンブスが新大陸アメリカからヨーロッパに持ち込んだとされる。日本には、室町期の1512年に長崎にもたらされたという。平安時代にはもちろん無かった。
塚本は、「日本民族が、何世紀か前に、梅毒や淋病の洗礼を受けている限り、真の意味での、純潔・純血とは言い難いと考えていたのだろう。」と想像している。ましてや敗戦後の進駐軍が横行する日本においては、性病が蔓延することは防ぎようもなかった。以上が、掲出の歌の背景であった。
 もう一首。
  東京におもひ及べば概論がすでに絶えたり野犬をとめを食ふ
                     「山上の雪」

ここで難解なのは、三、四句の「概論がすでに絶えたり」であろう。敗戦直後の東京のことを、疎開先の大石田にいて新聞やラジオの情報あるいは訪ねてきた知人の話から思い描いていた茂吉であった。野犬が少女を食うなどというニュースを知れば、東京のことを概括する言葉など無くなってしまった、という意味であろう。
敗戦直後の茂吉は、日本の乙女が汚されることを気に病んでいたのである。