天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(14)―

春秋社

     小鳥来る音うれしさよ板びさし   与謝蕪村


水原秋桜子 秋が次第に深くなり、木の実もよく熟れた。山ちかい家の板廂だから、その木の実が落ちて、しずかな朝や、更けた夜に音をたてる。小鳥の渡って来るのもその頃である。鶫、花鶏、鶸、いかるーそうした翼の美しい鳥が大群をなして、峰から峰へ移動するのだが、その群からこぼれた四、五羽が里へもやって来る。そうして板廂の上に下り立つ音が、朝々の寢ざめにきこえる。それは木の実の落ちて打つ音よりもよほど小さく、しかもなにか調子のようなものがあるので、じっと耳を傾けつつ布団を被っている。その秋暁の気持が、「うれしさよ」でまことによく現われている。
飯田龍太・・・「小鳥来る」という詩材がすでに多分の耽美的要素を持って居るだけに、「うれしさよ」は何か物足りなさを感ぜしめないこともないが、ハリソンの言ったー耽美家は浮気女のように冷たいーものでは決してない。晩秋の寂寥の中に点じたあたたかなウィットであり、豊かな詩情である。