天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(15)―

本阿弥書店刊

  たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき
                    近藤芳美


[藤岡武雄]この歌は、昭和十二年七月、土屋文明を迎えて朝鮮の金剛山アララギ歌会に出席し、その際に初めて会った年子(のちの妻)のことが背景になって作られた。自伝的小説『青春の碑』第一部の記述が参考になる。(昭和53)
[岡井 隆]いくらでも場面を変えて空想することのできる歌。問題は、映画の一場面をほうふつさせるような表現が短歌の世界に進出してきたことにある。〈映画と文学〉は、昭和十年代の大きなテーマの一つかもしれない。戦後の相聞歌に影響するところ大きい。(昭和53)
[小高 賢]まるで西洋画の一シーンでもあり、また映画を見ているような気持ちにさせられる。三十一音にキッチリおさまっていて、リズミカル。すがすがしい気分を伝える。戦争直後、多くの若者がこの作品に心を揺さぶられ、短歌に憬れた。その一人の馬場あき子に次の歌がある。
  楽章の絶えし刹那の明るさよふるさとは春の雪解なるべし


「或る楽章」とは、誰の曲なのか知りたくなるが、それに言及した鑑賞はない。クラシック音楽なのだろう。