天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(29)―

歌集『硝子のむかう』

 先日のブログ「犬の歌」のところで、老犬の介護日記についてご紹介したが、その後で紺野裕子さん(「短歌人」所属)の第二歌集『硝子のむかう』(六花書林、2500円)が刊行された。さっそく読んでいくと、老いたご両親の介護と飼い犬の看取りの歌が載っていた。
 先ずは、ご両親の情況を詠った歌から。


  車椅子にふかくかたむく母がゐるくらき浄土を
  めざせるごとし


  雨あがりははを見舞ひにゆくちちは干し柿ひとつ
  ポケットに入る


  餌台によりくる鳥の順序などちちは言ひいづ障子
  をあけて


  ははが問ふちちのよはひを九十と答ふれば泣く
  「そんなのいやだ」


 次ぎは、飼い犬の看取りの歌から。


  ねむる犬にみづ飲ませむと頭(づ)をおこす涼しき夜の
  かぜにやすらふ


  粥にくちつけなくなりて七日目のあさの地面に犬は
  死にたり


  捨てられし子犬三匹ひきとられ最後のひとりがお前
  だつたよ


あげたい歌は多いが、涙なくしてはとても読めない。もちろん介護の他に、旅行された折の歌やご自身に関する日常生活の歌もある。
 この歌集の印象は、小池 光さんの帯文にみごとに表現されている。一部を以下に引用しておく。


   ・・・重い現実を引き受けながら、しかし作者のこころには
   いつも透明でやわらかな風が吹いている。風に乗ってながれくる、
   みずみずしい「うた」が聞こえる。・・・