天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

秋雑詠(4)

岩波文庫版

 鎌倉の長谷を歩いた。今頃は、杜鵑草や秋明菊が目立つ。鎌倉文学館では、10月6日から12月9日まで、特別展「生誕820年・源 実朝」が開催されている。実朝の『金槐和歌集』を最初に評価したのは、賀茂真淵であり、次いで正岡子規であった。以後は、斎藤茂吉太宰治小林秀雄吉本隆明 などが評論や小説に取り上げた。会場には、尾崎左永子前川佐重郎、大下一真高橋睦郎長谷川櫂、藤沢 周、城戸朱理、柳 美里 などが実朝の秀歌を紹介している。


     江ノ電の座席に秋の朝日影
     藤袴写経に余念なかりけり
     杜鵑草水子地蔵が列をなす
     秋の蚊のかぼそき声や土の牢     
     薔薇匂ふ実朝しのぶ文学館
     文学館バラの名前に「春の雪」
     旧前田家別邸の庭笹子鳴く


  ほそぼそと幹は二本に分かれたり栄養剤を根方に受けて
  鎌倉の長谷の寺々気の澄みていま盛りなる下野の花
  実朝の首塚といふ石積が今に伝はる秦野の畑


 実朝は周知のように、頼朝の次男として鎌倉に生れ育った。兄の頼家が比企氏と謀って北条氏を排斥しようとして失敗し、伊豆に幽閉された後、12歳で三代将軍に着いた。武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子・公暁に暗殺された。享年28歳。亡き骸は勝長寿院に葬られたが首はなかった。その首は持ち去られて、秦野に首塚が作られた。
 生前、勝長寿院には度々訪れていたらしく、そこで詠んだ次の歌が『金槐和歌集』にある。

  古寺のくち木の梅も春雨にそぼちて花もほころびにけり