『しづかに逆立ちをする』
久しぶりに新鮮な感覚の楽しい歌集に出会った。現実と幻想とが混在する歌の数々。中には作者の私的な事情を知らない故の難解な作品もあるが、おおむねよく理解できる。短歌の正調韻律に馴れている人には、読みづらいところがあるかもしれないが、逆にその自由なリズムに作者の感覚の新しさが出ている。
作者は、短歌人所属の花鳥 佰さん。東京歌会や横浜歌会で同席することが多い。歌会に提出された歌にはあまり感じなかった感動を、この歌集の作品群から受けた。
私の好みの歌をいくつか以下にあげよう。わかりやすいので、コメントは最小限にとどめる。
暴王ネロの柘榴食ふときヴェスヴィオの山は喉までマグマ溜めゐき
*ネロの圧政に対する民衆の不満が爆発寸前、という情況を比喩して
いると読む。これはネロが生きている時代を詠んだものとしては、
巧みな比喩として納得できる。ただ、ネロが民衆の不満の爆発に
より自殺に追い込まれるというその後の史実とは、少し異なってくる。
ヴェスヴィオ山の大噴火(紀元79年)は、ネロの自殺(紀元68年)後
11年してからなのである。
門柱に寝そべる猫は垂らす尾にしばしば人を釣り上げるなり
黒チャドルの女ら広場を埋めつくしそのただなかにきららめく井戸
われわすれ踊りはじめる洗濯機をなだめるためにかたはらにをり
吊り下げられレーニンは飛ぶ癖のやうに左手まへに突きだしたまま
ケルトびとら二十進法に生きをりき手足の指に数をかぞへて
破れ小屋の金網にしろく兎の毛からみて「ジロー」の木札ののこる
いちじくの木に芥川龍之介棲みついて葉越しに蒼き首筋の見ゆ
*栞の小池 光さんの言葉にあるとおり、純粋にイメージからできた
歌である。下句にリアリティがある。