歌集『思川の岸辺』(2)
最初に注目したのは、従来の歌集に比べて、口語調の作品がかなり多いということであった。旧仮名遣いではあるが。
最後の靴二年半前買つたつきりそれからそれから
いろいろの事
バケツに首突つこんで水飲んでゐるうしろすがたも
しみじみ女猫
水飲みに行つたつきりの家猫を案ずるあひだも日は
釣瓶落ち
三間(さんげん)も前からにほふ梅の花 三間すぎて
そこからの闇
ここに居ては駄目だ、ここに居ては。その「ここ」がここに
かしこに
父の死といふ出来事のなつかしさ弔問に学生のきみ来て
くれたし
肩のちから抜いて大きく息を吐け そら、ひぐらしのこゑが
聞こえる
冷房といふ密室にたてこもりうたの製作にあぶら汗ながす
看護婦さんヘルパーさんも来てくれて母の百歳の誕生日祝ふ
晴れた日には筑波山が見える病室に母のいのちはたゆまずつづく
ごはん炊いてうなぎをのせてひとり食ふ坂くだるごと一年過ぎて
なんとなくクロロホルムのにほひする南水梨の実をひとつ食ふ
金次郎(きんじろ)が読んでゐる本なんの本あるいは『好色一代女』
猛烈な歯痛にある日襲はれて炎天下の町ふらふらあるく
歯科医院待合室の水槽にはらりぱらりとゐる熱帯魚
かばんの中にあるおにぎりを胃の中にふたつ移して昼の食をはる