A女との生活
岡井が慶大・医学部の学生の頃からの付合いらしく、短歌の結社を通じて知り合ったという。岡井より三歳年長の女性である。
皮膚の内に騒立ちてくる哀感を伝えんとして寄る一歩二歩
『斉唱』
転び伏し雪のなかから伸ぶる手は歩みよるわが力を待てり
結婚生活はわずかに昭和三十二、三十三年の間であった。それ以前に七年間の恋愛関係があり、責任をとる形で結婚したのだが、失敗だった。慶大・医学部を卒業した岡井は、北里研究所附属病院に勤務していた。
忍従よりむしろ逐わるる生きざまを愛す鶉も鶉の妻も
『土地よ、痛みを負え』
一家団欒、それがどうした どこよりも腸萎(な)えて毎夜
半(まいやはん)の帰宅
岡井はA女と別れるべく、同居していた新宿区柏木から中目黒へ家出したが、その後に娘K子が生まれた。娘は山梨の実家に預けられたという。裁判の末に離婚が成立したのは、なんと二十四年後の昭和五十七年であった。
仮面こそさびしなつかし胃の重くなるまで金(かね)の話煮つめて
『禁忌と好色』
久しくもわれを縛りて年へたる禁制ひとつ解けてゐたりき
いずれの歌も、背景を考えると理解は容易。