水のうた(17/17)
ここでは、庭潦(にはたづみ)あるいは行潦(にはたづみ)を詠んだ作品をまとめておこう。
「にわたづみ」とは、夕立などが降って庭にたまった水のこと。「流るる」「川」の枕詞になることもある。以下の二首目と五首目が該当する。
はなはだも降らぬ雨ゆゑにはたづみいたくな行きそ人の知るべく
万葉集・作者未詳
*意味は「それほど激しい雨でもないのに、庭の水、そんなにたくさん流れないで。
人に知られてしまいます。」裏には「頻繁に逢っているわけでもないのに、そんなに
噂をたてないで。」という気持があるか。
み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めそかねつる
万葉集・日並皇子宮の舎人
*「にはたづみ」は「流るる」の枕詞として使われている。一首の意味は明らか
であるが、舎人たちが詠んだ草壁皇子の死を悼む晩歌のうちの一首。
世とともに雨降るやどの庭たづみすまぬにかげは見ゆるものかは
拾遺集・よみ人しらず
庭たづみ行方しらぬものおもひにはかなき泡の消えぬべきかな
新勅撰集・本院侍従
人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも
良寛
夜の程にふりしや雨の庭たづみ落葉をとぢてけさは氷れる
上田秋成
秋雨の庭はさびしも樫の実も落ちて泡だつそのにはたづみ
長塚 節
にはたづみ流れ果てねば竹の葉ゆ陽炎(かげろふ)のぼる日の光さし
斎藤茂吉
ちさきことを幸とすべけむ庭潦(にはたづみ)それに溺れて死ぬ人もなし
石川啄木
にわたずみまばたくと見れば降りており林にいまだ音あらぬ雨
高安国世
朝のしぐれ過ぎし歩廊の行潦(にはたづみ)咲き残りゐるカンナも映す
小泉豊一
花の精 時間の精の庭潦(にわたづみ)光明るき藤棚の下
道浦母都子
*庭潦をみつめたときの独特な感受性。
[お断り]都合により7日から9日まで、記事を休みます。