天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

狂歌師・天廣丸

 鎌倉今泉・白山神社入り口にある説明板によれば、あめのひろまるは、宝暦六年(1756)〜 文政十一年(1828)の間を生きた。今泉に生れ、若くして江戸に出て易学を修めた。結局は、狂歌の道で名声を得た。関係の書物を数種類出しているが、有名なのは、「狂歌三百集」の狂歌酒百首という。その例を以下に。

  くむ酒は是風流の眼なり月を見るにも花を見るにも
  心あらば手向けてくれよ酒と見ず銭のある人銭のない人(辞世の歌)

 一首目は、白山神社の入口に歌碑となっている(下の画像の左下)。廣丸の墓は、今泉の磯崎家の墓地にあり、側面には酒を表す徳利の図が刻まれているらしい。まだ尋ねたことはない。

 なお、狂歌とは、社会風刺、皮肉、滑稽を和歌(短歌)形式で読んだもの。その起源は、落書(らくしょ)、戯歌、童謡(わざうた)をその系譜に含めて考えれば、古代にまでさかのぼる。狂歌という言葉は平安時代に出てきたという。分野として独立し発展したのは江戸中期から。

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天廣丸の歌碑