「古志」令和元年十二月号から(1/3)
このところ俳句作品から離れていたので、今後は毎月結社誌「古志」に掲載された作品から筆者の好みで選んでいくつかについて鑑賞してみようと思う。
無限なる青より竹を伐り出し来 大谷弘至
*「無限なる青」をどう解釈するか。鬱蒼と生い茂った竹林かそれとも竹林の上に広がる無窮の青空か。前者の方にしたい気分である。
稲の香や鯰は髭でふざけをり 関根千万
*水を張った稲田には鯰の稚魚をみかけることがある。ただ、稲穂が実る頃には、田んぼからは水がなくなっている。句の情景は、稲穂の実るたんぼを前に、釣ってきた鯰を盥にでも入れて泳がせているのだろう。
トボトボと亡父に連れられ大文字 東 一爽
存へてこその安気や梅筵 鈴木一雄
*安気とは、心に苦しみがなく、気楽でのんびりしていること。梅筵は梅干しを干すための筵で夏の季語。長らく生きてこれた日常の安らぎを梅筵を前に感じているようだ。
鉦叩母のいのちに入り込む 三玉一郎
*鉦叩とは。念仏の際に鉦をたたくこと。また、その人。あるいはカネタタキ科の昆虫で、雄は秋にチン、チン、チンと鳴く。この句では、昆虫を差し、その鳴き声に母は成仏を想って念仏を唱えたのだろう。
仏壇のちちはは前にして昼寝 松井和起
腹に伏する本が息する昼寝人 松下 弘
鵙の声七堂伽藍貫けり 矢野京子
思ひ出を楽しむ秋の団扇かな 橋詰育子
稲妻のごとき歳月詩に捧ぐ 西川遊歩
押入れに子のはしやぎ声台風来 わたなべかよ
みんみんに火急の用のあるらしく 金澤道子
捨扇やさしき人に逢ひに行く 谷村和華子
*捨扇とは、秋になって、使われずに置き捨てられた扇のこと。秋の季語。この句は、涼しくなったのでやさしき人に逢いに行くという。熟年の気分か。
とぼとぼと鳩の歩みも残暑かな 木下洋子
墓じまひ決断迫る蝉のこゑ 天野 翔
*拙作である。わが故郷の田舎には、親族がいなくなり先祖の墓地だけが残っている。父母は、京都の本願寺に永代供養した。先祖の墓もそうしようかと墓じまいを考えたが、ご先祖にとってはこの田舎がそれぞれの人生のすべてであったはず。自然の風化にゆだねるのが良いだろう。