心を詠む(8/20)
数ならで心に身をばまかさねど身にしたがふは心なりけり
千載集・紫式部
*心が境遇に押し流されていってしまうという不如意な状況を詠んでいる。
おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ
*「おしなべて物を思はぬ人」とは、次の歌の「心なき身」の人と同じ僧侶を指していよう。
次の歌の方が具体的で優れている。
心なき身にもあはれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕ぐれ
こころとや紅葉はすらむ立田やま松は時雨に濡れぬものかは
*窪田空穂『新古今集評釈』では、以下のように評価している。
「心としては新しいものはない。しかし表現は、一句一句艶を含んで、粘りを持つた、落ちついたものとなつてゐる。力のある、優な姿の歌といふべきであらう」
背きてもなほ憂きものは世なりけり身を離れたるこころならねば
新古今集・寂蓮
頼まじな思ひ侘びぬるよひよひのこころは行きて夢にみゆとも
我もかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ
玉葉集・伏見院
*「私も悲しい。草木も心がいたむらしい。秋風が草木に触れて露がおりるころは。」上句で感情を、下句で情景を描写。
物思へばはかなき筆のすさびにも心に似たることぞ書かるる
玉葉集・藤原為子
紫式部の考えは、大変現実的であるように思える。源氏物語を書くくらいだから、心の赴くままに奔放な生活を送る性格のように誤解しそうだが。
西行の二首、「物を思はぬ人」と「心なき身」を使い分けているところが面白い。どちらも世の中の情勢に惑わされないという点で共通しているが、職業の面で大きく違っている。前者は世俗の人、後者は僧侶をそれぞれ代表している。