芭蕉俳句の先進性
ここしばらく「芭蕉全句」堀信夫監修、小学館 を読んでいるが、芭蕉の
句作りの精神の新しさを今更ながら痛感する。五七五の定型に拘らないのだ。
近代になってから、こうした自由な態度が殺されてしまったのではないか?
手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜
御廟年経て忍は何をしのぶ草
冬しらぬ宿やもみする音あられ
並行して、中条ふみ子全歌集「美しき独断」、北海道新聞社 を読んでいる。
気づいた点のひとつを上げると、次のように二、三句の韻律が乱れる場合がある
ということ。これがどういう効果を生むのか、これから考えたい。
かぎりなく落つといへど差出されし女性的なるその手は拒む
たんぽぽの照る野に埃のちまたにきく「神々不在」の
ひそかなるこゑ
癌病棟に又ながき夜は垂れて睡眠薬をねだりゐる聲