天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

岡井 隆

 岡井 隆の最近の歌集二冊『E/T』、『馴鹿(トナカイ)時代今か來向かふ』を読んだ。彼の歌は、意味や背景を読み取ろうとすると大方は難しくてお手上げになる。韻律、技法を楽しむつもりで読むのがよい。どれでもいいが任意にひいてみる。
    言葉あつく鯖を煮てゐる臓器的ななまなましさがない
    わけじやない
 この歌、どこで切れるのか。意味を持つ言葉のつながりを取り出すと、「臓器的ななまなましさがないわけじやない」は明白であろう。次には「鯖を煮てゐる」も明らか。では初句はどうか?わからない。「あつく」とは?いろいろ御託を述べながら鯖を煮ているのだろうか?言葉をいろいろつくしているが、鯖を煮ているようななまなましさが感じられるよ、と理解しよう。状況の断片を切り出して歌にする試みなのだ。

    まつさをな手紙の汀(なぎさ) あのときのきみの感情
    が波うつてゐる
 「手紙の汀」って何? その後の言葉の続きはわかる。「きみ」からの手紙を見ての印象を詩的に詠んだのだ、と理解すれば、この歌はむつかしくない。「まつさをな」「汀」「波うつ」に「手紙」「感情」を対比させ、感情が波うつと納める。だが、それで正しいか?「手紙の汀」にもっと深い読みがあるのでは?など鑑賞上の不安は残る。それゆえ他人の鑑賞と比べることも短歌を楽しむ方法である。