餅搗き
いよいよ歳晩。円覚寺の観光客の数もめっきり減った。まして他の寺社では、境内は閑散として草木のたたずまいが実に趣き深い。
煤払太鼓木魚を外に出し
にぎはしき谷戸の中腹餅を搗く
餅つきの湯気の奥なる菩薩かな
餅搗きのかけ声を追ふ臼の音
餅つきに檀家にぎはふ谷戸の寺
高野槙いちやう落葉にあかるめる
手袋にペンをはしらす谷戸木立
薄氷を柄杓に割るも手水鉢
千両のひときは赤き谷戸の朝
薄氷の下をくぐれる波紋かな
小春日の光にひたる布袋尊
腹撫づる石の布袋の小春かな
午後から短歌人横浜歌会に出席。今月の題詠は「鐘」。
役僧の無念無想のなごり雲力をこめて搏てる梵鐘
酒井英子
* なごり雲が解釈のポイントになるが、無念無想になり
きれないことを差すのでは、といった解釈が出た。
でもそれでは言葉の続きがおかしい。俗念の充満している
中に無念無想のなごりが見えるということになるからである。
さるすべり咲けば思ほゆ長谷寺の鐘にひびかふ風の音の歌
* 風の音(と)の歌とは、鐘に彫られている佐佐木幸綱「風の音
の遠き未来を耀きてうち渡るなり鐘の響きは」を指す、という
ことを知っている人はいなかったので、鐘が鳴ることを風の奏
でる歌、というふうに解釈が出た。わが歌だが、こうした知識
を前提にすると解釈が困難になる。ちなみに、「風の音の」は
遠きにかかる枕詞。
自由詠では、次の歌が評判良かった。
きらびやかに点すトラック去りしのち獣めきたり夜の国道
金沢早苗
* 下句が上句とうまくマッチしている、というかうまい対比
なのだ。「獣めきたり」の感受が評価された。
いにしへに栄えしみなと和賀江島海石(いくり)のこりて波の立つ見ゆ
* わが歌。上句が平凡、という感想で一致したが、実はこれは
鶴ヶ丘八幡宮の実朝献詠歌として出したものなので、「実朝の夢
のなごりの・・・」としたいところをあえてグッと抑えた。