天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

本歌取り

 塚本邦雄『詩歌星霜』(昭和五十七年八月、花曜社)を読んでいる。
明治の文芸ルネッサンス(承前)という章に、次の有名な一節が出てくる。
”言葉を取るとか心を取るとか、そんなことは問題ではなくて、本歌と並び立つ、あるいは本歌を凌ぐ本歌取りをしてこそのパロディであり、模倣であって、その意味ならば、模倣ということは回避すべきではなく、自然に言えば、本歌取りならざる文学作品はかつて一つもなかったと言えるのであります。”

彼が与謝野寛(特に『相聞』)を高く評価する視点のひとつに、五七七七七という独特な歌体を編み出したことを挙げている。
  閨(ねや)の戸の月夜こほろぎ、汝れは樂童、
  この寂寥(さびしみ)を美(い)しく奏づる

これは古代歌謡の催馬楽や神楽歌の本歌取りであると指摘する。


塚本自身は、初句七音の七七五七七の歌体を編み出す。
  いざ二人寝む早瀬の砂のさらさらにあとなきこころごころの浅葱
                       『感幻楽』

 “初句すべて七音、この短歌黄金律改変によって、抒情の質をも、今一度古典に競い立たさうと試みた” と熱く語っている。

与謝野寛の技法を学び、応用して新しい韻律を切り開いたといえる。