天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代の定家(2)

 新古今集に採られ、教科書にも出ている有名な藤原定家の歌を、塚本がどのように評価しているか、部分的ながら紹介しておこう。教科書などでは決して取り上げない独自の鑑賞である。

  駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕ぐれ

  *要するに一種の屏風虵であり、はるばるとして無限の空間を
   めざすやうに見えながら、綺麗に切りとられたフィルムの
   一こま、虵葉書の一葉である。・・・旅人は決して作者自身
   ではない。作者と作中人物は、・・・定家の歌では一しづく
   の血も通ってゐない。・・・白一色の畫面に淡い墨で描いた
   はなやかな死の空間であり、贊たるべき歌そのものが虵で
   あった。


  春の夜の夢のうきはしとだえして嶺に別るるよこぐものそら

  *この歌は完璧な形而上学であり、上を人事、下を自然などと
   二分して考えるのは邪道に類しよう。・・・
   事実などかけらもない。虚で始まり虚で終るいはば聖なる
   いつはりの世界である。そして眞とは、その虚妄の中にひらく
   華の謂であることを、定家は證したにすぎない。


今日のわが歌は、
   昼時の耳目あつめて高らかに軍歌ふりまく靖国通り
   松明けも祈願は絶えずさむざむと弁当ひらく御霊屋の裏