天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

比喩表現

「短歌人」三月号掲載の藤原龍一郎の作品から。藤原の歌には、時に難解なものがある。次のような歌はどう鑑賞すればよかろう。

A 潮の香は運河の水をさかのぼり木のパレットに寒色を溶く
B 陰翳としての昭和を思うかな淡紅色の蕾を過ぎて
C 時間街追憶通り夕暮の通行人として汝(なれ)在るを


A:上句は単純にわかる。順接で下句に繋がるので下句の主語は、
  潮の香と理解すればよいはず。では、「木のパレット」とは?
  林の木々の比喩であろう。潮の香が木々を寒色に染めたと感じ
  たのだ。
B:倒置法であろう。つまり、構文的には、淡紅色の蕾を過ぎて陰翳
  としての昭和を思う ということ。淡紅色の蕾を過ぎてとは、
  花が咲き始めるとの意味であろう。その頃になると戦争を経験した
  昭和という時代の光と影が思われる、という。
C:時間という街の追憶という通りに夕暮がきて、そこの通行人の
  ひとりとしてあなたがいる。結句の言いさしが藤原流だが、
  どんな言葉が省略されているか? 「思い出す」であろう。
  初二句を思い出の比喩と解釈するのである。


  つぼみなす緋寒櫻の幹に垂る高砲二十二聯隊の札