天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

口語俳句

 口語短歌のことは述べたが、俳句についてはどうか。字数が半分であることで、違いがどう現れるか。短歌の場合は、切れが明確でないと散文になるが、切れがはっきりすると短歌らしさは残る。
俳句の場合は、切れがはっきりしても、字数が少ない分、片言で幼稚な感じになる。ただ、次の例で、山頭火と放哉の場合は、五七五を無視して必要十分な字数を使う自由律俳句なので、不自然さが消え、一片の散文詩になっている。


  種田山頭火
    まつすぐな道でさみしい
    どうしようもないわたしが歩いてゐる
    うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
    なるほど信濃の月が出てゐる

  尾崎放哉
    氷がとける音がして病人と居る
    こんなよい月を一人で見て寝る
    すばらしい乳房だ蚊が居る
    春の山のうしろから煙が出だした

  坪内稔典
    ゆびきりの指が落ちてる春の空
    春の坂丸大ハムが泣いている
    三月の甘納豆のうふふふふ
    がんばるわなんて言うなよ草の花


戦後生まれの俳人の句をあげておこう。

    日本海に稲妻の尾が入れられる      夏石番矢
    針は今夜かがやくことがあるだろうか   大井恒行
    百日紅こんどはぼくが馬になる      仁平 勝
    ひよこ売りについてゆきたいあたたかい  こしのゆみこ