天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

前登志夫歌集

 短歌研究文庫『前登志夫歌集』を読み終えた。ここには、「子午線の繭」「霊異記」「縄文紀」「樹下集」「鳥獣虫魚」「青童子」「流転」「鳥総立」までを含んでいるが、完本は「青童子」のみで、他は全て抄である。これから何回かにわたって前登志夫の歌を例にして、短歌の構文につき考えたい。
 前登志夫は詩人から出発しているせいかどうか、シュールな情景の歌が多いが、構文上難解な歌もかなり多い。正常な日本語なのか疑問を抱くことがある。今回は「霊異記」からその例をあげる。


  暁の蝉檜の木の幹に鳴き出づるたまゆらやさし枝を思へり
  *結句「枝を思へり」が独立した文型だが、上句の幹との
   関係がわからない。


  七草の日の夕茜雪の上に掬へる指も机にかへる
  *「掬へる指」がわからない。また、その指が「机にかへる」
   とは?雪の上に映った夕茜を掬った指も机にもどってくる?
   指以外に机にかえってくる物があるのか?