天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

意味の無い短歌

 岡井隆全歌集Ⅳがやっと購入できた。附録の月報で、詩人の北川透と対談している。短歌、俳句、現代詩についてそれぞれの思いを語り合っている。その中で、「日本語の規範を無化する世界」という節で、北川透は岡井が作った例として、

  叱つ叱つしゆつしゆつしゆわはらむまでしゆわはろむ失語の
  人よしゆわひるなゆめ


を挙げて、次のように説明する。
 *音のイメージ(音象: 菅谷理論)を、定型というか調べ
  として出す。この歌は、はじめの句から最後の句まで意味が
  わからない。だけど歌というものは意味ではないんだよと
  いうことはわかる。


これに同調して、岡井は次のように答えている(要約)。
 *あれはオノマトペ的なまったく無意味なもの。
 *歌というものは意味ではないんだよ、というつもりでやっている。
 *ちょうど美智子皇后が言葉を失われた時に重なったのでそれと
  結びつけて解釈した人がいたが、こちらはにやにや笑いながら
  見ていた。
 *たしかに、「失語の人よ」というところだけ意味性がある。意味
  を全部消しておいて、一箇所だけ意味をぽーんと置いてみたら、
  何を人が考えるだろうか、ということで作った。


 以上のことから分かるように、難解な歌に出会った時には、意味をとることばかり考えないで、何処に面白みがあるのか、を吟味してみることが肝要。面白くなければ、いかに高名な歌人の作品であろうと読み棄てればよい。時間を費やしていらいらするのは精神衛生上よくない。