天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

詩的表現

「歌壇」4月号より。作品連載、巻頭作品から第一首目の歌をあげてみる。
  尾根づたひ雨降りくれば花しろく涅槃と書けり杉の立木に
                    前登志夫
  新しく広縁成りぬ冬日ざしよろこびて座る客人のごと
                    宮 英子
  スーツケース一つで入りてゆく旅寝病院といふ小さきホテル
                    稲葉京子
  還らざるものに一とせの時めぐりまだ眠りゐるきさらぎのがま
                    宮原 勉
  雨雲の迫る午前の暗さにて軌道を滑るゆりかもめ見ゆ
                    藤原龍一郎
  菜の花の色のたまごの丘三つくるくる混ぜて春来てしまふ
                    米川千嘉子
  人間はいかなるものに見えをらむ中空を舞ふ餌乞ひの島に
                    伊藤一彦
  ふつくらと苔にどんぐり埋まりをり冬晴れの日の椎の木の下
                    花山多佳子

 こうして見比べると、前登志夫米川千嘉子のふたりの作品が謎の要素を含んだ詩的表現になっていることがわかる。他の作品は、情景が説明されているのですぐに理解できる。
前登志夫の場合は、三句目と四句目との間に段差があって(順接なのに主語が入れ替わるなど)唐突な感じを与える。
米川千嘉子の場合は、「たまごの丘」という表現が謎めいている。内容は、生卵を三つ割ったらぷっくりした黄身の丘ができ、それをかき混ぜた時、春を感じた ということなのだが。