天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌枕―讃岐(善通寺)

善通寺境内にて

 善通寺のすぐ近くに西行が3年間住んでいたところという玉泉院がある。西行が四国を訪れたのは仁安2年(1167年)、50歳の時であった。善通寺では、玉泉院の久松庵と「水茎の岡」といわれる山里に庵をかまえた。西行弘法大師の跡を慕ってきたのである。
 私が善通寺を訪ねた際に、この西行庵に寄ってみたいと思ったのだが、夕暮が迫っていたこともあって場所を確認するまでもなく諦めてしまった。
 この山里の庵で詠んだと思われる西行の歌は、以下のようにたくさんある。


  あはれなり同じ野山にたてる木のかかるしるしの契ありけり
  岩にせくあか井の水のわりなきは心すめともやどる月かな
  ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松はひとりにならんとすらん
  めぐり逢はんことの契りぞありがたき厳しき山の誓ひ見るにも
  筆の山にかき登りても見つるかな苔の下なる岩の気色(けしき)を
  ほととぎす思ひもわかぬひと声を聞きつといかが人に語らん
  今よりはいとはじ命あればこそかかるすまひのあはれをも知れ
  久(ひさ)に経てわが後の世をとへよ松跡しのぶべき人もなき身ぞ
  樒(しきみ)おく閼伽(あか)の折敷(をしき)のふち無くば何に
  あられの玉と散らまし


  曇りなき山にて海の月見れば島ぞこほりの絶え間なりける
  花と見るこずゑの雪に月さえてたとへんかたもなき心地する


わが歌を次に。
  大木の樹齢千年お大師の逝去の後に植えられし楠
  お大師の再現されし声を聞く善通寺御影堂戒壇めぐり
  西行の庵訪はむと思へども夕暮せまり諦めにけり