機会詩〈短歌〉ノート (3/6)
次は、自然災害として大震災に遭った場合。窪田空穂『鏡葉』に関東大震災を詠んだ一連五十余首がある。
燃え残るほのほの原を行きもどり見れども分かず甥が家あたり
窪田空穂
新聞紙腰にまとへるまはだかの女あゆめり眼に人を見ぬ
空穂は震災直後の神田猿楽町、飯田橋、丸の内 などを歩き回って、惨状をつぶさに観察した。客観描写ゆえに迫力がある。阪神大震災では、朝日新聞社への応募作から。
箪笥の下を必死に抜けし老妻は一瞬笑い次に号泣す 長沼 満
犠牲者を慰むる鐘絶えず鳴る神戸姉妹都市シアトルの空 吉富憲治
選者の一人馬場あき子によれば、「・・・短歌の様式がもつリズムに、ぎりぎりの言葉が乗せられた時に発する微妙な力が、言葉に真実感を生んでいて、それが強い訴えの力になっている。・・・被災地以外から寄せられた歌は、客観するゆとりや技術への配慮がととのわないうちに口を衝いて出てきた歌がほとんどである。・・・」とのこと。
一首だけ取り出して読むと、どこの震災なのかあるいは空爆跡なのか判らない。こうした場合は、歴史的な観点でなく短歌としての良し悪しで鑑賞、評価することになる。