夢を詠う(7)
須磨の関夢をとほさぬ浪のおとをおもひもよらで宿をかりけり
新古今集・慈円
ゆめかともなにか思はむ浮世をばそむかざりけむ程ぞくやしき
新古今集・惟喬親王
哀れなるこころの闇のゆかりとも見し夜の夢をたれかさだめむ
新古今集・藤原公経
あひ見しは昔がたりのうつつにてそのかね言を夢になせとや
新古今集・源 通親
いま来むと契りしことは夢ながら見し夜に似たる有明の月
新古今集・源 通具
たのめ置かむたださばかりを契りにて浮世の中の夢になしてよ
新古今集・藤原定家母
つらかりし多くの年はわすられてひと夜の夢をあはれとぞ見し
新古今集・藤原範永
逢ひ見てもかひなかりけりうば玉のはかなき夢におとる現(うつつ)は
新古今集・藤原興風
慈円は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。新古今和歌集には九十二首が入っており、西行に次いで第二位と多い。この歌は、宿を借りて夢でも見たいと思っていたのだが、浪の音で夢など見られない須磨の関にいることを忘れて、うっかり宿を借りてしまった、というユーモラスな内容である。
四首目の源通親の歌は、昔のあの恋はいったい何だったのか、約束の言葉を夢にせよというのかと考えたときに去来する思いである。
藤原定家母の歌は、夫となった藤原俊成への返歌である。「おっしゃる通り、来世でお逢いすることを約束しましょう。ただそれだけを契りとして、この辛い現世での仲は、夢だと思って下さい。」という。結婚する前の相聞歌であろう。