天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

甲斐の谺(8/13)

山廬の干し柿

(5)喩法
喩法は擬人法と近い関係にある。何故なら擬人法は人にあらざるものを人に喩えて、なぞらえて表現する技法だからである。蛇笏、龍太ともに直喩「ごとし」の使用頻度が高いが、以下には他の表現もあげておく。
 蛇笏の例
  はつ汐にものの屑なる漁舟(ぎよしう)かな  『山廬集』
  たましひのたとへば秋のほたるかな     『山廬集』
  山と積む浜の芥や返り花         「国民俳壇」
  一瞬の夏仏あな嬰児(やや)に似し       『白嶽』
  炎天を槍のごとくに涼気すぐ       『家郷の霧』
  陽は宙に春の天壇ねむるさま      『旅ゆく諷詠』
  葉むらより逃げさるばかり熟蜜柑      『椿花集』
 龍太の例
  冬ふかむ父情の深みゆくごとく      『百戸の谿』
  雪山に春の夕焼瀧をなす         『百戸の谿』
  露の村墓域とおもふばかりなり      『百戸の谿』
  熱の子に早鐘打つて遠蛙         『百戸の谿』
  露の土踏んで脚透くおもひあり        『童眸』
  近き夜空に男の固さ夏の富士         『童眸』
  薄暑来る萱に日照雨の降るやうに      『春の道』
龍太の方が、少し抽象性の高い喩法になっている。