天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

今年のわが作品から

 令和二年も終りに近づいた。新型コロナ・ウィルスは衰える気配がない。今年のわが俳句短歌作品の中からいくつか挙げておきたい。 

俳句十句(「古志」掲載)

     松過ぎてカテーテルとるうれしさよ  

     あらたまの木漏れ陽に聞くリスのこゑ 

     玄関をあけて驚く春の富士 

     手作りのマスクして行く花見かな   

     ウィルスにつづきて来たる黄砂かな 

     凧(いかのぼり)ひとつ自粛の空に鳴る 

     万歩計歩数気にする梅雨の道     

     雨やみて胸はだけたる大暑かな  

     雪積める妻の故郷を思ひやる

     忘れしが名札のありて花海棠 

  

短歌十首(「短歌人」掲載)

  あらためて数のふしぎにおどろきぬ「博士の愛した数式」を見て

  紅毛のをさな児ひとり手をあはす聖観世音はつか笑まへり

  生きがひを見つけむとして読みはじむ『宇宙と宇宙をつなぐ数学』

  夕光の窓辺に立てるカポックは夫婦喧嘩に小枝を落とす

  三密を避けてさんぽは農道に沿ひつつぞゆくスカンポの花 

  小さなる自動車ロボット俣三郎庭を見まはり車庫に入りたり

  わが背丈越えて咲きたり江戸の世にオランダから来し朝鮮薊(アーティチョーク)は

  大雨に倒れし杉のご神木千三百年の樹齢終へたり

  喝采を浴ぶることなき日々なればか細く見ゆる大谷翔平

  つんどくの書物をあまた束にしてゴミ収集車に出す金曜日

 


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          俣野別邸庭園にて